絶賛実家暮らし中。
天気が良い日は散歩して、少しばかり変わった町並みを楽しんでいる。

しかしながら、どうしても慣れない景色が『スカイツリー』。
今年で5周年とかなんとかテレビでやっていたから、私が実家を出る時にはほぼほぼ出来上がっていたし、確か大学2年くらいの時には、押上駅周辺はスカイツリーを作る更地が出来ていた。 

あんなにでっかいものだし、徐々に上に伸びてく度に景色として認識していたはずなのに、なんだか懐かしい町並みの中に入り込んでくれない。

溶け込んでくれない?
写り込んでくれない?
私が許容してないだけか。

私が許容してもしなくても、スカイツリーはそこに建っていて、きっとこれからこの町で育つ子供にとっては、当たり前の景色として思い出の中に写り込んでいくのだろう。

私の中でのスカイツリーは強引だ。
下町の雑な町並みの中に強引に入り込んできて、我が物顔で空を貫いている。
何よりも高いことをいいことに、どんな景色の中にも映り込んで、傲慢なその体をさらす。
背中を向けていても、ビルの窓に写り込んで自己主張を繰り返す。
かと言って雨の日の夜は、空へ伸びてる先っぽを雲に隠して恥ずかしそうに、薄ぼんやりと光っては、今日は先まで見えないねと周りを落胆させてしまう。
スカイツリーがなけりゃ、空の心配だけしてれば良かったのに。

約20年、スカイツリーの無い景色で過ごした。
これから何年か分からないけど、それよりも長い時間をスカイツリーのある景色の中、生活をしていくんだろう。
慣れていくということは許容していくこと。

スカイツリーよ、立派な景色になりなさい。



スカイツリーがまだまだ小さかった頃、よくスカイツリー近くの荒川の土手で歌っていた。
空へ伸びてくスカイツリーを見ながら作った曲の歌詞を。



『タワー』

こんな夜に
君を思い出す僕は馬鹿だなぁ
どんな夜も
君を思い出す僕は馬鹿だよ

君を忘れる魔法使えたらいいのに
なんて
そんな夢みたいなことを考える夜もある

もう二度と会えない
そんなこと信じられない
だって僕は息をしてる
君もどこかで息をする

僕らの生きてる証拠
夜空に吸い込まれていく
知らないフリをしないで

僕の生きてる証拠
高く高く積み上げて
君が見えるくらいの
高い高いタワーにしたら…

よじ登り
空に近いところ
君の生きてる証拠
吸い込まれた空へ
手を伸ばし掴むんだ
だってそれが僕の
生きてる証拠だから

こんな夜は流れ星に願いをかけてみる
そんなものは迷信さ
知ってる、すがりたいだけだ

夜にそびえるタワー
僕を馬鹿にしてるみたい
月に近いからって

夜にそびえるタワー
僕を馬鹿にしてるんでしょ
君が見えるからって


こんな夜に
君を思い出す僕は馬鹿だなぁ
どんな夜も君を思い出す
僕は馬鹿だよ


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