4年前のあの日、私は御茶ノ水にいた。
仕事が終わって賄い食べて、いつもの時間の電車、14:46。
地下鉄のドアが閉まった瞬間にグラっと揺れ、急に車内は真っ暗。
隣に座ってたおばちゃんは私に捕まり、???状態のまんま電車の中で揺られ続けた。
不安定な電車の中だから、揺れは体感でかなりのもの。
なんとなく漠然に、死ぬのかなぁとか思った。
漠然としたらまま車内に光が灯り、ドアぎあき、大半の人は社外へ。
平気な顔してまだ電車内にいながら携帯をいじってた人達が印象的でした。
何が起こったかわからないまんま、バイト先に戻るとまた余震。
みんなで必死で高いワインが入ってる冷蔵庫を壁に押し付けながら、何言ってるか分からないラジオ放送を聞いて大変なことがおこってるんだなぁと、徐々に理解していった。
大変は大変だけどいざ自分の身にふりかかるとよく分からないもの。
どうしようと思いながら、家に一人でいるはずのおばあちゃんが心配で歩き始める。
靖国通りは大混乱。タクシーなんて捕まるはずもなく、途中で寄ったコンビニではすでに食料関係は売り切れ状態。
歩きすがら水道管が破裂してプチ洪水状態になってるとこもあった。
実家の下町に近づくにつれ、半壊状態の家が増える。
携帯は繋がらない。
誰にも。
どうにかこうにか二時間後、家に着くとおばあちゃんがいない。後で聞いた話では、ちょうどその日の午前中に検査入院してたとのこと。
そんなことはその時わからないから、もぬけの殻の家で一人ぽかんとしていた。
食器棚から飛び出したもの、壁からずり落ちた時計、倒れたテレビ。不安で泣いてる文鳥。
誰もいない。
繋がらない。
父が私の帰宅後に一時間ほどして帰ってきた。
ぼんやり、してる私を励ましながら家の被害状態を見た。
母は保育士なので今日は帰れないだろう。
兄貴は千葉の仕事の現場、妹は松戸の会社、なんとかこうにか家族の安否がとれて不安定なままの夜を過ごした。
バイト先に顔を出して片付けしたりもした、
あの時の全てのお酒のボトルが入り混じった匂いは忘れることができない。
あんな不安な夜はもう来ないでほしい。
あの日は鮮明に覚えてしまっているけど、
忘れない。忘れられない。