今回の都市伝説シリーズはGibson Customshop の59MODELについてです...
実はギブソンカスタムショップ 59modelの基礎になったmodelは
東海のLS320という噂があるのです!
信じるか?信じないかはあなた次第です!
あくまでも噂の一つにしかすぎないという事をご理解ください。
でも...火のない所から煙は出ませんよね....フフフ
現在ではTrue Historuc Collectionをはじめ、Gibson最上級ラインを取り揃えたGibson Customshop。
レギュラーラインとは異なる熟練のビルダーが極上の木材を用いて高い技術で組み上げる1本1本はまさにギブソンの神髄と呼ばれています。
近年は3Dモデリング等高い技術を用いたヴィンテージの復刻や経年変化まで再現したモデルなど、ここから生み出される個体はGibsonが誇る最高峰として君臨。
では何故、ギブソンカスタムショップ 59modelのベースになったmodelが
東海のLS320という噂が出たのか?
それは、ZZ-TOPのビリー・ギボンズが理由です。
ビリー・ギボンズの愛機は「パーリー・ゲイツ」
モノホンの1959年 Gibson Les Paul
その東海製 レス・ポール:LS-320を ZZトップのビリー・ギボンズが絶賛し、ツアー中に愛用したというエピソードもあるほどです。
東海のレスポールを使用しているビリー・ギボンズ(1:25秒当たり)
そこに登場したトーカイの「LS-320」はオリジナルの59を徹底的に研究、解明したといわれています。
噂ではオリジナルの59をバラしたとまでも言われています。
真偽は定かではありませんが1970年代であれば59modelの価格も現在のようなアホみたいな価格ではなかったと思います。
東海のLS-320が作りもしっかりとし高品質なものであったことから、本家を完全に上回ったと言われて高評価を得ます。
紐解く鍵は、ギブソンの歴史を知ってもらうと理解しやすいと思います。
1977年、ギブソン社がフジゲン社ら日本の模造品メーカーを訴訟するがギブソンが敗訴
その事から日本メーカーではコピー品の自粛呼びかけジャパンオリジナルデザイン化の道へ進む。
1974年から1984年に掛け、ギブソンギターの製造の中心はカラマズーからテネシー州ナッシュビルへと順次移転
しかしながら、様々な要因でナッシュビルに移ることが出来なかった職人達が中心となってカラマズー工場の操業が続けられ、ヘリテイジとして現在に至っている。
故にヘリテイジは「もう一つの、古き良きギブソン」の愛称があります。
1984年、ギブソン社、ミシガン州のカラマズー工場閉鎖
1985年 ギブソンの元社員5名がカラマズー工場の機材を買取り、Heritage Guitar Inc.を設立
時を経て
1992年にナッシュビル工場に隣接した工房に、「ギブソン・カスタムショップ」が設立されます。
翌年の1993年からレスポールは生産を開始
このように工房から始まった「ギブソン・カスタムショップ」
時代背景や経営状況を考えるとGibson社が1990年代にモノホンの1959年 Gibson Les Paulを所有していたかに疑惑がでます。
そんな事から、実はギブソンカスタムショップ 59modelの基礎になったmodelは
東海のLS320という噂があるのです!
信じるか?信じないかは貴方しだいです!
※雑談
紙幣(お金)という物を流通させたのはユダヤ人という説があります。
歴史的にもユダヤ人は「商売上手」とも言われています。
そのユダヤ人が1959年レスポールに目をつけて買い集めてたといわれています。
60~70年代はエリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、キース・リチャーズ、エドワード・ヴァン・ヘイレンも1959年レスポール・スタンダードを手にしていた事実があります。
現在、その買い集められた1959年レスポールは空調の効いた保管室で管理され、秘密裏に売買されているという噂も...
信じるか?信じないかは貴方しだいです!