3週間ほど前に風邪をひき、医者に行った。症状は改善されたものの、咳だけ全くおさまらず、先週2件目の医者に見てもらったところ、持病の喘息アレルギーだと診断された。新たな薬を処方されただけでなく、水シャワー禁止(ここには水シャワーしかないじゃないの!)、冷たい飲み物禁止(猛暑ゆえ無理!)、エアコン扇風機禁止(死ぬよ~)、香水禁止(これも私にっとっては裸で歩くようなものだから無理。つける場所を変えて対処)、そして香料入りのボディーソープ&クリーム禁止(香物は全てダメらしいので、これは従った)と、様々な規制をされた。結構頑張って言いつけに従っていたが、昨日から頭や身体が痛くなってきたので、3件目の医者へ。今度は風邪&季節の変化(雨季から乾季へ)に身体が対応できていないが故の喘息だと診断され、3日間絶対安静らしく、現在7種類の薬を服用している。
3週間も咳が続き、胸が痛くなってきたのだが、大丈夫だろうか?パナマの医療は結構進んでいるものの、サードオピニオンまでとってもなかなか安心できない。



パナマの保健省に対し、Euro Socialという国際協力団体が援助をするらしく、その団体の中南米地区代表の女性が、チリからやってきた。「全国献血委員会」に参加する為、日程を合わせて来たと言う。
その会議が終わったあと、何と、保健省の接待に連れて行かれることになった。正直、2日間に渡り朝から晩までスペイン語漬けの会議でぐったりだったが、パナマ式接待に興味があったので、行く事にした。メンバーは、Euro Social代表、保健省の献血プロモーション責任者夫妻、そして何故か私。
7時にレストランの予約をしてあるという事で、6時過ぎに車で彼女をホテルまで迎えに。軽く市内観光をしながら、車を走らせた先は、パナマ運河水門が見える「ミラフローレス」というレストランだった。
レストランはビュッフェ形式で、お料理もなかなか美味しかったが、私は殆ど食べられなかった。昼間の会議もHotel Crowneというホテルでの開催だった為、ランチブュッフェの他、Merienda(間食)として常にパン、ケーキ、フィンガーフード等随時出ていた為、全くお腹がすいていなかったのだ。チリの彼女はてんこ盛りにしたプレートを何皿もたいらげていたが・・。
運河は夕方5時には閉館となってしまうので、夜景は初めてだったが、ライトアップされた運河は昼間よりずっと素敵で、穴場スポットだと思った。
接待時間は日本より短めで、運河を見ていた時間を入れて2時間半。パナマ人は食べている最中は基本的に話をしないので、どうするのだろうと思っていたら、やっぱり食べている間は無言であった。しかし、彼らは10分もあれば一皿平らげるので、あまり問題はないようだ。それより、接待なのに会話をしようという気があまりないのが不思議であった。運河やパナマの話は喜んでするものの、話を膨らませるのが得意でないようで、会話のキャッチボールが成り立っていない。結局私が彼女と話をする形になったが、彼女がおしゃべりな人で良かった。
パナマに接待があるのだとわかった事、運河の夜景を見られた事は収穫であったが、帰宅後はぐったりであった。オーバーヒートした私の脳は、暫くビジネススペイン語を受け付けないだろう。



実は11月に入るまで、どうにも活動に対する意欲がわかなかった。
献血デー終了直後の7月は、友人の来パ&任国外旅行があった。8月は職場の問題でオフィスに軟禁され、思うように動けなかった。9月はパナマ※保健衛生部会の設立準備、そして会長にさせられてしまった為、その後は事務所との調整及び運営企画に追われる事に。(※保健衛生部会: 本年9月発足。パナマの保健衛生関連職種の隊員を中心に構成。情報共有・JICAの保健系活動のアピール・保健衛生知識の底上げを目的とし、勉強会及び連動イベント等に協力して取り組む会。現隊員数の1/3を占める。)10月は夫の訪問に合わせ、15日間のvacacionを取った。
確かに、県内各所で呼ばれれば講義もしたし、新しいマテリアル作成などもしていたので、物理的には結構忙しかったと思う。しかしどこか精神的に引き篭もりで、積極的に何かをしかけるという気持ちが起きなかった。配属先と意見を衝突させるのも億劫で、不本意な妥協をしてしまう事もあった。
お陰さまで、プライベートは充実していたと思う。しかしどんなに毎日楽しくても気持ちが燻っている自分に気づき、結局自分は仕事で完全燃焼していないと、何をしていても充実感が得られないのだと感じた。6月まで休みもなく仕事をしていた期間は決して楽しかったとは言い難いが、振り返ると自分らしいと思え、後悔はない。
2年間ずっと同じテンションで活動に励む事は、正直難しいと思う。異文化の壁にぶつかったり、活動で悩んだり、人間関係がうまくいかなかったり・・・。しかし波がありながらも、自分らしいスタンスを常に心がけ、納得できる活動をして行きたいと思う。
約4ヶ月間に渡り40%くらいの気持ちで仕事に取り組んでいた反動で、11月以降は150%稼働している。最近はあと一年ちょっとしかないと思うと、焦りすら感じる。現在、大きなプロジェクトを、3つ平行して進行中である。そんな中、先月下旬に大きな動きがあった。
11月26~27日に、Euro Socialという国際協力団体とパナマ保健省協催の「全国献血委員会」というものが、首都にて開催された。
各県の献血プロモーション代表、各協力機関代表(CSSとかcruz raja等)が招待されており、私もロスサントス県代表で参加することになった。
他県の献血状況を知る貴重な機会だったので、積極的な情報交換を心がけたのだが、全国には献血プロモーションに一生懸命取り組んでいる仲間がいるのだとわかり、励みになった。逆に彼らは、何故私がロスサントス県だけのプロモーションをしているのかと不思議がり、他県のプロモーションにも携わってもらえないのかという提案をしてきた。保健省の献血プロモーションの責任者と省内ボランティアコーディネーターを交えて話し合った結果、その為には中央の保健省で働くべきだという事で意見が一致。散々迷っていた首都への任地変更であるが、予想外の形で後押しされる事になった。私もその場で心を決め、その足で所長に報告すべく、JICA事務所に向かった。
私の要請は、駒ヶ根訓練所にいたときから、「問題案件」として何度も話し合われてきた。その為、私が保健省本部にコネクションを作って以来、首都へ任地変更という話はずっとあった。しかし、ようやく落ち着いてきたロスサントス県での仕事である。ここにいたら2年後のプランまで見えているのに、「安定」を手放してまで「挑戦」する勇気がわかなかった。首都に行ったら何が出来るのか?自分の役割をみつけられるだろうか?今までJICAボランティアが入った事のない、中央の保健省で働けるのだろうか?ボランティアで来たのに仕事で忙殺されそう。・・・などと不安や迷いが先立ち、二の足を踏んでいた。今回、とても自然な流れを感じ、迷いがふっ切れた。
することはいっぱいありそうだし、ボランティアだろうが何だろうが、目いっぱい働くのが自分らしいスタンスだと思う。やるかやらないか迷った時は、GOが常に私にとっての正解なのだ。
異動が決まれば、保健省本部にて、首都を中心に、国内全域の献血プロモーションに携わる予定である。カウンターパートは全国の献血プロモーションの責任者となる。
ただ、受け入れ先は1月から来て欲しいと言っているものの、ロスサントス側がすんなりOKしてくれるかが問題である。
任期もあと一年しかないので、無事異動が決まる事を祈る。


サーフィンに行ったとき、私はアメリカ製のSPF50、ウィータープルーフの日焼け止めを使用した。当然海から上がるたびに、白くなるまで塗りなおしたが、何故か相当焼けた。翌日、鼻の頭の皮がうっすらむけ、30代としてあるまじき日焼けにショックを受けた。しばらく集中美白の美容液とホワイトニングパックを続けたものの、どこまでフォローできるだろうか・・・。
片や友人は日本の日焼け止めSPF50PA+、(ウォータープルーフ表示なし)を使用し、全く焼けなかった。
以前から疑っていたが、パナマで販売されている日焼け止めの効果性はいかがなものか?そもそもPA値というものが存在しない為、UV-A波に対しては無防備なのだ。
以来日焼け止めは絶対日本製と心に誓った。さっそく日本から追加で送ってもらわないと。


前回初めてサーフィンにトライしたのが5月初旬。首都に上がっているときに、「明日サーフィンどうですか?」という誘いがあり、二つ返事で行く事にした。予定外の事で、水着すら持ってきていなかったが、買えば良い。物からそろえないとテンションが上がらない質なのだ。行く前にサーフショップで一通りグッズを買い揃え、格好だけは一人前となった。半分目的を果たし、首都からバスに揺られて2時間弱、San Carlosという海についた。ここは外国人も多く、宿もきれいで、お金持ちの別荘地といった趣である。
午後の到着となったので、あまり波がなく、やむなく少し危険な岩場での練習となってしまった。パドリングの仕方と基礎知識だけ教えてもらい、早速海へ出たのだが、沖に出るまでだけで一苦労。運動神経にも泳ぎにも自信があったので、正直こんなに大変だとは思わなかった。そして自然の力は怖いと感じさせられることに。板に立つことはできなかったものの、ボディーボードのように波乗りを楽しんでいたところ、突然岩場にはまってしまったのだ。しかも波がどんどん打ち寄せるので、ちっとも抜けられない。板に引っ張られ、波に押し返され、立ち上がることすらままならないのだ。「そっちは危ないから、早くこっちに抜けるんだ」って言われても、動けないんだってば!!まるで打ち上げられたアザラシのようである。
ようやく陸地に生還した時は、足のあちらこちらが切れていて、血まみれであった。恐怖心が先立ってしまい、その後はサーフィンを断念、結局正味2時間くらいしか海に入れなかった。
小学生男子のような、傷だらけの脚となってしまった為、2ヶ月ほどスカートが履けなかった。楽しかったが、後遺症があったようで、なかなか再度チャレンジという気にならなかったが、先日2回目のサーフィンに行ってきた。雨季も終わりかけ、また海が恋しくなってきたのだ。今度はPlaya Benaoというパナマのサーフィンのメッカに行くことに。ラッシュガードも買い足し、気持ちを一新してのリベンジである。Benaoの海は見渡す限りの水平線が視界いっぱいに広がり、一目で気に入った。
元来負けず嫌いな私である。2回目こそは絶対板に立つと決めていたので、極力海に出るようにした。一生懸命な様子が伝わったのか、あちこちのサーファーが代わる代わる声をかけ、様々なアドバイスをしてくれた。しかし、ある程度のアドバイスを頂いた後は、後は自分でひたすら練習し、波に慣れるしかないと思った。
もうすっかり腕も重く、筋トレが必要だなあ~などと思っていたら、何と立ててしまった!一瞬ではあったが、教えていてくれたパナマ人が「viste!(ほら、できたじゃん)」と言ったので、ちゃんと乗れたのだと思う。今までの疲れが一気にふっとんだ。
海男にはM男(マゾ)が多いというが、なるほどと思った。サーフィンなんてその究極ではないだろうか。波に乗るのはほんの数秒で、その一瞬輝きのために、終日忍耐である。もっとも私と縁がなさそうだが、何故か楽しいと思った。海には奥深い魅力がある。
私もサーファーの仲間入りをしたので(?)、また近々行かないと。


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夫の来パに合わせて、パナマの高級リゾートホテルといわれる、「Royal Decameron Beach Resort and Casino All Inclusive」に行ってきた。ここはプライベートビーチを備えた広大な敷地を有し、中にたくさんのホテルやヴィラと共に、プール、レストラン、ディスコテカ、ジム、エステ、ゴルフ場など全て揃えている。カンクンの町を縮小して、一つの施設にしたような所で、ホテルというよりはリゾート村である。敷地内を24時間バスが巡回しているので、移動にも全く支障はない。
裕福なパナマ人がバカンスを過ごす為に訪れたりもするが、アメリカや他の中南米諸国からの観光客がとても多い。人気の秘密は、まず価格であろう。飲食費、宿泊費、施設利用費(一部除く)オールインクルーシブで、一泊一部屋約50ドル~130ドル(季節により変動)くらいなのである。食事も美味しいし、部屋もとてもきれい。私はプライバシー重視でヴィラにしたのだが、レストラン等の施設と離れている分、静かで広々としていて良かった。
そしてサービスが素晴らしい。パナマのサービスのレベルは、パナマ人も嘆くほど酷いが、ここは別国である。コロンビア経営のホテルだからだろうか、教育が行き届いているのだ。パナマ人はサービスの教育が不足しているだけで、きちんと受けさえすれば、日本人以上のサービスを提供できるのではないかとすら思った。
朝起きてビュッフェで朝食を頂き、ビーチでカクテルを飲みながらウトウト。ちょっとプールで泳いだら昼食。腹ごなしにダンスのレッスンに参加し、また海を眺めながらのんびり。一度部屋に戻り着替えてから、予約を入れておいたレストランで夕飯を食べる。その足でバーへ立ち寄り、そしてディスコテカへ。
協力隊で来ていた事を全く忘れてしまうようなリゾート気分を満喫した。


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村隊員の先輩が、滝の観光ツアーをするというので行く事にした。ツアーと言っても、「麗しの中欧3カ国周遊ツアー」等とはわけが違う。パナマシティから2時間ほどの地方都市ペノノメより、バスと小型トラックを乗り継ぎ、そのあと3時間ほど山道を歩いたところにある、Tuluという村に行くのだ。山を登るのにロープが必要だし、雨が降れば5時間歩くという。そして当日、予想どおり雨が降った。
以前の行ったK隊員の村も驚いたが、こちらは辿りつくまでの道がもっと凄かった。ガタガタ道を小型トラックの荷台に揺られ1時間、その後はひたすら山登りである。荷物を馬に預け、かっぱを羽織り、泥まみれになりながら辿りついた頃にはすっかり筋肉痛であった。到着後すぐ、ビニールシート越しの水シャワーを浴び、テントを張り、就寝準備。夜は豆かけご飯と、持参したビールを美味しく頂いた。因みにお手洗いはもちろん汲み取り式であるが、ハエ柱が出来ていて、気絶しそうな光景であった。
翌日向かったツアーハイライトの滝は、まさに壮観であった。道なき道を行き、山を登り、河を渡り、ロープで崖を上った甲斐があったと思う。滝に打たれ、マイナスイオンをたっぷり浴び、心身ともにすっかり清められた(気になった)。


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駒ヶ根研修所で同班だった妹分がニカラグアより上陸。相変わらず元気の塊で、底抜けの明るさをパナマで振りまいていきました。久々の再会で、新たなパワーをもらいましたグッド


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パナマで迎える初の誕生日は、ありがたい事に3本立てであった。

①家族・友人とのバーベキューパーティー
こちらではバーベキューは一大イベント。真昼間の炎天下の中、炭を暖め、肉をスモークさせる。汗だくになりながら準備してくれたパパに感謝♪気のおけない友人や家族に囲まれ、すっかり酔ってしまいました・・・

②熟年ミュージシャンによる愛の祝福
誕生日の一週間ほど前に仕事で参加したイベントで、※Mejoranaを歌うおじいちゃんと知り合った。(※Mejorana: アコーディオンに合わせ、即興で詩をつけて歌うもの。日本で言う詩吟とか小唄のようなもの?)彼は私が披露したベリーダンスに感銘を受けたとの事で、自分が参加するお祭りに招待してくれた。
当日は偶然にも私の誕生日だったので、ちょっと足を運んでみる事に。着いたらお祭の真っ最中で、次から次へとmejoranaグループが登場し、歌を披露している。素人カラオケ大会みたいなものかと思って行ったら、Festival Nacional de la Mejorana (全国Mejorana祭)というテレビ中継も入った大きなイベントだった。実はおじいちゃんはMejoranaの名手で、すごい人だったらしく、フェスティバルのゲストとして登場していたのだ。参加者の年齢層が高いので、やっぱり人生経験が芸事の味となるのかな~、などと思いながら見ていたら、例のおじいちゃんが私を見つけてくれた。呼ばれるがままにステージに上がると、アーティスト達の中央に座らせられ、徐に歌い始めたのだ。「私が出会った、今まで会った事もない美しい女性~その名はMizuki、日本出身~。彼女の瞳は輝きを放ち、唇はバラのようだ~。彼女の舞は天使のようで、一目で虜になった~。彼女が笑うと僕の胸は鼓動し、それだけで幸せになるんだ~。彼女と海岸へ行って、抱きしめてキスをしたい~。」というような詩をつけて。
私の倍以上の年齢かと思われるおじいちゃんに、こんな熱烈に愛を語られるのは生まれて初めてである。全身全霊を込め、血管を浮き立たせて歌い上げるので、死んじゃうのではないかと本気で心配になった。
司会者にマイクをふられたので、パナマでの良い思い出一つ増えた、と無難な感謝を述べて立ち去ろうとしたところ、何と別のおじいちゃんが歌い出してしまった。「突然現れた、日本人女性~。彼女を一目見て、僕は恋をしてしまった~」と。目を見て真剣に歌ってくるので、帰るに帰れない。漸く終わったと思ったら、触発された別のおじいちゃんがまた、「今日、2007年9月24日、僕の運命の人とめぐり合ってしまった~」と始めてしまった。こうなるとエンドレスである。おじいちゃん達のマイク争奪戦で、2回3回と歌う人まで出てきた。独特な抑揚がつき、歯が少なくなったおじいちゃま方から発せられるスペイン語は、理解するのにエネルギーを要する。最初は笑顔で一生懸命聞いていたが、だんだん意識が遠のいてきてしまった。衆人環視の中舞台にあげられ、おじいちゃま方に囲まれ、約1時間。ちょっとした拷問であったが、最後に全員がHappy Birthedayを歌ってくれ、忘れられない誕生日となった。
幾つになっても愛の詩が溢れてくる人生の大先輩方のように、幾つになっても心に張りをもって年を重ねたいものである。

③協力隊同期によるサープライズパーティー
ニカラグアから同期の協力隊員が来ていたので、首都に上がった。昼は一緒に観光をし、夜は他のパナマ隊員の同期も集合し、皆で隊員連絡所にて夕飯を食べる事になっていた。
予定の時刻より少し遅れて到着すると、スープカレーなどのご馳走が待っていた。同期には料理上手が多いので、我が猫の手は全く期待されていない。
いつも食べる方専門なので、いつものように美味しく頂いていると、突然電気が消え、Happy Birthdayとともに手作りケーキが登場。ショートケーキ&チーズケーキという、盆と正月が一緒に来たような組み合わせである。誰かの誕生日を忘れてたのかと焦っていたら、何と自分の誕生会だった。可愛いプレゼントやメッセージカードまで用意されていてびっくり。ニカラグアの同期も当然知っていたらしい。食後に大人のpiñata(中にお菓子やおもちゃを詰めたくす玉で、皆で順番に叩き割る。今回のものにはコンドームなども入っていた・・・)まで用意されており、パナマ流に祝ってもらった。(勢い余って近くにおいてあったキンカンも叩き割るというオチもついたが。)

この歳になると、さすがに誕生日を待ち望むという気持ちはなくなった。しかし、毎年このように自分にとって大切な人たちが祝福してくれるというのは、本当に有難いことだと思う。いつしか私にとって誕生日とは、「自分は皆に支えられ生かされている」という事を再認識し、感謝の気持ちを強く持つ為の日に変わった。
さまざまな国から祝福してくれた皆様、本当にありがとうございますラブ


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相変わらずベリーダンサーとしての活動が1/3を占めているが、またまたイベントで踊る事に。特設ステージが屋外だったので、夜、外でのライブとなったのだが、ちょっと不思議な体験をした。
それまで澄んだ星空だったのに、踊りだした瞬間に雨が降り出し、踊り終わったと同時に雨が止んだのだ。
踊っている最中、得体の知れないエネルギーを感じ、とても解放された、神聖な気持ちで踊れた。私の気持ちとは裏腹に、観客は大盛り上がりであったが・・・(パナマ人の感性が異なるのか、私の表現力が不足しているのか汗
ふと、ベリーダンスの先生が言っていた、「自然のエネルギーを感じなさい」という言葉が頭をよぎった。まだまだその域には程遠いが、少し垣間見れたかも?ベリーダンスは奥が深い!!


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