白虎隊の生き残り 飯沼貞吉
助け出された後、何と長州藩士 楢崎頼三に引き取られ、美祢市で育てられます。会津では生き残った事で虐められたそうです。美祢に行ってからも自決をはかっています。
しかし、 勉学に励み電信技師になります。逓信省(当時は工部省)に入り下関に赴任、九州、新潟、広島、東京、札幌そして仙台にて工務部長に就任し電信電話に貢献するのです。
長州に引き取られた事は一切口にする事は無かったそうですが、近年になって明らかにされてきました。
この話を知って気になったのは、当時の会津と長州の宗教観、倫理観、思想の違い…、余りにも違うのです。
今迄 言われてきた事は本当なのか? 色々調べていくうち 間違いに気付きました。
勝者の論理? 薩長史観? よく考えると敗者の論理、会津史観なのです。
これから少しずつお話していこうと思います。
