大英博物館の後は、お昼を挟んで、ロンドン塔とタワー・ブリッジ(ロンドン橋ではありません。)です。
ロンドン塔は、現在の英国王室を開いたウイリアム1世(1066年即位)が築城した、首都ロンドンを守るための要塞です。さいずめ、中央の白い建物(ホワイトタワー)が天守閣で、城壁と濠で囲まれ、厳重に守られた形になっています。
ただ16世紀になるとヘンリー8世が別のところの宮殿に住むようになり、ここは、造幣所・王室の宝石等の保管庫・地位の高い人の監獄・処刑所等に使われたそうです。
右の塀の向こうがテムズ川、左側の壁の向こう側にロンドン塔の敷地が広がります。
上の写真はとレイダーズ・ゲートといい、ここが監獄として使われていた当時、テムズ川を船で運ばれてきた囚人が、ここから中に入ったとのことでした。
赤い線の入った黒い服を着た人がヨーマンウォーターズと言われるロンドン塔の衛兵隊。イギリス陸軍の退役軍人がされているそうで、この方が警備やロンドン塔内のガイドをしているとのことです。我々にはツアーにはガイドさんがいたので話を聞く機会はありませんでしたが、無料だそうですので、案内していただくのも、良かったかもしれません、英語のみの案内だそうですが。
さて、敷地に入ってまず訪れたのが、ジュエル・ハウス。
ここでは、イギリス王室の宝飾品の数々が展示されており、エリザベス女王が、毎年の国会の開会式で身に着けていた帝国王冠等もありました。(写真撮影は不可だったかもしれません。)
このジュエルハウス以外のロンドン塔の建物は、血塗りされた歴史劇が繰り広げられた王の居城という感じです。日本でも、平安時代や鎌倉時代には、後継のために親族を殺害する事実があったようですが、イギリス王朝でも同じようなこと繰り広げられていたようです。
上の写真は、ホワイトタワー、ロンドン塔の天守閣で、高さは27.4mあり、最も目立つ建物で、中には中世の武具が展示されています。しかし、この地下室では、リチャード3世が、兄王エドワード4世の子供2人を殺害し、その骨が発見されたそうです。(今は、地下室への通路は立ち入り禁止になっています。)
なお、この中世の武具の中に、1点だけ日本の兜と鎧が展示されています。1613年、徳川秀忠がジェームズ1世にプレゼントしたものだそうで、武具は1575年長篠の戦いで負けた武田勝頼が所有していたものとのことです。日本で見てもそれほど感動しないのに、イギリスで見ると少し興味をそそられます。
イギリス王室の暗い歴史の最後です。
上の写真の左側の建物、クイーンズハウス。ここには、ヘンリー8世の2番目の妻、アン・ブリーンが処刑されるまで幽閉されていたところとのこと。ただ、その罪が、ヘンリー8世が離婚したいために、でっち上げた不倫の罪ということです。あー恐ろしい。
さて、次はタワーブリッジです。
タワーブリッジはロンドン塔のすぐ隣で、上の写真のように、ロンドン塔から見ることが出来ます。なお、ロンドン橋はタワーブリッジの1つ上流の橋だそうです。私、ずっと勘違いしていました。