玉ちゃんの独り言 第137回「水俣病懇談会をめぐる大臣の涙の謝罪で考える」 | 玉ちゃんの独り言

玉ちゃんの独り言

玉茶庵店主の「玉ちゃん」こと玉岡です。


 日頃偉そうにふんぞり返っている政治家、特に国会議員がぺこぺこと頭を下げ、場合によっては土下座までする時がある。それは選挙など自身の地位の存続がかかっている時に限られる。ましてや大臣ともなれば、深々と陳謝するのは保身が理由と言っても過言ではないであろう。今回の伊藤環境大臣の頭の下げっぷりは、まさに彼が辞任の危機を感じたからに違いないように見えた。
 5月1日の水俣病懇談会の席で、環境省職員が患者連合会の副会長の発言途中で勝手にマイクを切った件を、この大臣はトップとして謝るために8日にわざわざ熊本まで来たのだが、果たしてこれは適当だったのか。1日の懇談会自体が、被害者団体が大臣に陳情する会だったので、当然この事は彼の目の前で起きたことである。だが彼は、マイクを切った職員を注意することもなければ、発言を遮られた副会長の話の続きを聞こうともしなかったばかりか、この件を抗議する被害者の会に対して、自分は認識していないと起こった事そのものも認めず逃げたのであった。つまり彼はこの時点では大臣として謝る気など微塵もなかったことは、映像を観れば一目瞭然だ。ところが、この映像が報道番組で流され、各ニュースで批判的に放送されたので、慌てたのだろう、1週間遅れでカメラの前で涙を流し、熊本までやって来たのだった。だが、この件で最も大切なのは伊藤氏の大臣としての適正云々ではない。元々被害者の意見を聞くという名目のこの懇談会自体がおかしいのである。1人当たり3分×8人で計24分しか話を聞く気がない懇談会とは何なのだろう。そもそも被害者の話を聞くべき相手は、事件後にできた環境省ではなく、補償対象患者認定権のある厚労省ではないのか?
 水俣病が発生したと思われるのは百年近く前の話で、日本最初の公害病として認定されてからも70年ほども経つ。それなのに今だに解決していないのは何故なのだろう。原爆の二次被爆被害の件もそうなのだが、国が拡大化しそうな患者の認定を渋っているからに他ならない。環境省が懇談会の相手となっているのは、同省が患者認定基準にかかわる調査を担当しているからなのであろう。この調査というのも時間と金を掛けた上に結果が出にくい、まったくよく分からないものらしい。時間をかけ、生存被害者の数が減るのを待っているのではないかと言われても仕方がないほどの対応の遅さも、原爆同様である。国、つまり政府は国民の命を守るためにあるのではないか! などと言うのは、青臭い理想論に過ぎないのだろうか。