こんにちは。灯心書書家玉雲です。
朝、布団の中で
今年のことりっぷ(寺社巡り)は
やっぱりウォーキング系にしたいなぁと
ふと思い…。
まず近場で運動になりそうな
場所は何処??と思い巡らして
ポン!と出てきたところが
こちらでした。
厄除けで有名な立木観音さま
うわー。ここ出てきた・・・・。
最初は困惑。
でも、もうお参りしてもいいか、と
なぜか拘りが消えました。
何でだろう・・・。
*****
わたしが4才の時に急逝した父。
自分が早くに亡くなることを
予知していたのか
何か気になることがあったのか
厄年と言われる年に
毎月、家族で立木観音に
お参りしていました。
800段の階段の途中途中で
休憩したり、おぶってもらったことが
うっすらと記憶に残っています。
でも、本厄の年の年末に
亡くなった父。
父が亡くなってからお参りする
こともなくなりましたし
近くに行くことすらなくなりました。
実際あの辺りを車で通ると
気分が悪くなっていました
厄除けなんて!
何の意味もない!!
そんな風にも思っていたので
自分が厄年の時も厄除け祈願などは
しませんでした。
写経会をするようになって
近くの石山寺や佐久奈度神社は
お参りするのに
立木観音は華麗にスルー。
でも振り返ってみると
近づきすらしなかった周辺に
徐々に近づいていた件( ;∀;)
多分、一生お参りすることは
ないと思っていたんです。
恨んでいたんですよねー。
あんなにお参りしてお願いしてたのに
なんで??って。
目の前に流れる瀬田川は
色んな感情も流してくれます。
川の流れは浄化。
ここまで時間はかかったけれど
一つ拘りを手放すことができたのは
神仏は確かにいらっしゃる、という
確信と写経会を通して仏様の慈悲を
実感してきたから。
自分を癒すのは『自分で』でしか
できないのです。
少しは器が広がったかな
提供中のメニューなど
写経会