こんばんは。
灯心書セラピスト玉雲です。
古い家族写真。
父と一緒に写っている写真はこれとあと数枚。
私が4才の時に脳溢血で亡くなったので
父の記憶は片手で数える程しかありません。
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先週のお茶会のあと
名前のことだま師®ちあきさんに
鑑定をしていただきました。
「あなたの名前は誰につけられましたか?」
この質問から始まり、私の名前の由来についての
記憶を引っ張りだしました。
・両親二人で考えた。
・近所の奥さんがとても素敵な方だったから
同じ名前にした。
・当時、全盛期だった大関貴ノ花の「貴」の字を
いただいた。
母から聞いていたのはこの3つ。
質問に答えながら 「あれ?この名前は
父が付けてくれたのかな。」と思いました。
40年前、小さな私は父が亡くなったと
いう事実を哀しすぎて受け入れることが
できなかった。
お葬式は覚えているけれど涙一つ出なかった。
「記憶がない」のは「存在を消す」ことで
心を保っていたのだと最近わかったのです。
存在を消された父はどんな想いで
空から私を見ていたでしょうね。
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息子達が 父もしていたバスケをするように
なって 父の存在を感じるようになり…
そして今回の ことだま鑑定でも
父が「思い出してくれ!」とメッセージを
送ってるよう思いました。
「き」のことだまは 「木」
檜の木は 肥沃な土地だと根腐れしてしまう。
痩せた土地であるほどしっかりと根を張り
太い幹になるのだそうです。
幼少期に厳しい環境に居た人程
晩年大きく花開くのよ。
とちあきさんに言っていただきました。
ちあきさん、ありがとう。
「いつも 見守ってるよ」
私の名前に込められた父の想いと
使命も知ることができました。
そして タイムリーに届きました
おのころ先生とやましたひでこさんの
共著
「たいせつなことはすべて日常にある」 より
悲しみは、それを乗り越えたら、愛に変わる。
悲しみは「心非ず」と書き、
愛とは「受」に「心」を入れた字。
誰かに失った心を受け入れてもらったとき
悲しみは愛に変わるのである。
ーおのころ心平
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明日は父の命日です。
毎年忘れて、母に怒られていたのですが
今年は大丈夫だよ(*^^*)