2024年06月22日遠松忌法要へ参加 | 行円寺公式ブログ「その名も、行円寺(ぎょうえんじ)」

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 2024年06月22日(土)開催の和歌山県新宮市遠松山浄泉寺様を会場に厳修された遠松忌法要に参列してまいりました。

この浄泉寺でかつて住職を勤めれた高木顕明氏は、日露戦争(1904年2月6日~9月5日)の勝利に国中が湧く中非戦論や公娼反対運動を行い、それが当時の日本の施策に反するものであったため、天皇暗殺の濡れ衣を着せられ幸徳秋水らとともに捕らえられました。判決は死刑でその後無期懲役に減刑されま秋田監獄に収容されましたが、人生に絶望した顕明氏はそこで自ら命を絶たれました。

 

 この事件は検察側による全くでっち上げで、当時の外務省の記録でもアメリカ・イギリス・フランス・ドイツなどからこの捏造と死刑判決に批判が寄せられたとあります。アメリカやフランスでは抗議のデモも起こりました。

 

 宗派も国家の威光になびき、国家反逆者として「擯斥(ひんせき)」処分を下します。これは教団から永久追放とされる処分です。

 

 日露戦争勝利に沸く日本において戦争を称賛し、その戦争の犠牲者を英雄として祀ることを(彼らは英雄ではなく国家の犠牲者であると)反対したり、またその軍施設の近くに公娼設置(当時公営の遊郭が存在しなかった和歌山県地域活性化対策として軍の兵営誘致とセットで議論され県議会で可決された、当時の和歌山県政界・実業界・医師会・仏教界まで賛成した運動。その中において反対運動を展開したのが新聞記者荒畑寒村・医師の大石誠之助・キリスト教牧師の沖野岩三郎・そして高木顕明)など、当時の国の政策と反対の意見を述べる高木顕明は国家にとり目障りな存在でした。

 

 そのような思想が広まるのを恐れた国家は当時の有名な社会主義者を天皇暗殺の大逆罪犯人として捕らえ、死刑や無期懲役に処したのです。

 

 幸徳秋水などの名は教科書にも載っていますが、連座された高木顕明氏の名前はマイナーで宗派内でも知らない人が多いです。

 

自分も和歌山の僧侶ということで興味や関心は抱いていなかったのですが、師が秋田監獄で縊死されたという事で頭の隅に名前が残っていました。大阪教務所が遠松忌ツアーを開催したのを目にしたので、今回の参加となったわけです。

 

南御堂に8時に集合、お朝時を勤め8時半に出発。

 

途中のパーキングエリアでパチリ。

 

南御堂から浄泉寺までバスで片道4時間の旅。途中バスの中でお昼ご飯。

 

皆で正信偈同朋唱和。

 

法話。辻本雄一・佐藤春夫記念館館長による「熊野・新宮から視た高木顕明の評価と、これまでの歩み」

 

法要終了後、交流会参加班とフィールドワーク班に分かれる。自分はフィールドワークに参加し、お墓参りをしてきました。

 

 

 

高木家の墓のとなりに宗門が建てた顕彰碑。宗門が顕明氏の教団内処分を取り消したのは85年後、1996年の事でした。

 

帰りはまた4時間ほどバスに揺られ、9時半に南御堂へ到着。いや~充実した1日でした。

 

浄泉寺様からいただいたおにぎり。こちらのおにぎりは、道の駅のおにぎりでもそうでしたが、おにぎりとしては俵型で小さめなんです。

こちらではめはり寿司というそうです。おいしかったです。

 

 

 

高菜で巻いたり、さばをのっけたり、刻みしょうがを入れたりとさまざまなバリエーションがありました。

 

《総評》

大阪教区主催で「遠いなあ」と思っていたが、東京から来た人もいたので、参加してよかったと思う。

40名募集であったが、参加者は10名。急遽バスを中型の20人乗りにしても一人2席の贅沢旅でした。以前は大阪からも参加者が沢山いたが、だんだん少なくなってきたとの事。勉強会だと思って積極的に参加してほしいですね。

片道4時間、大阪~和歌山の街並みをたっぷり見てきました。

 

 

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