同朋新聞&行円寺通信2024年06月号 | 行円寺公式ブログ「その名も、行円寺(ぎょうえんじ)」

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同朋新聞ならびに行円寺通信2024年06月号出来ました。

 

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マルチバース(多元宇宙論)と阿弥陀仏

 

                                住職 釋 慈明

 

 

 さる518日深夜にNHKで放送された「漫画家イエナガの複雑社会を超定義、エンタメ&科学!マルチバースで人生観が変わる」は、衝撃的な内容でした。

 

この「マルチバース」という概念は1957年アメリカの物理学者ヒュー・エベレット氏により提唱されました。「量子の効果で無数の宇宙が生まれている」という多世界解釈の始まりです。量子(りょうし)とは、物質やエネルギーの最小単位で「原子」「中性子」「陽子」「光子」などミクロな粒子の総称をいいます。これは同じ時間に複数の場所に存在し、「人間が観測した瞬間、一つに収束する」という不思議な特徴を持っていて、そこから考え出された概念がパラレルワールド(並行世界・並行宇宙・並行時空)というものです。

 

Meta(旧Facebook)社が展開しているメタバースでは仮想空間に仮想キャラクターを設定しますが、それはあくまで仮想空間上の存在であり、またそれを操っているのはこの自分自身であるのに対し、マルチバースの世界では、複数(それも膨大な数)の自分が、現在自分のいる宇宙とは異なる宇宙においてそれぞれ現在進行形で生活しているのです。

 

 私達は普段、自分で選択決定をしておきながら、あの時違う決断をしていたら今の生活はどうなっていただろうか、とよく考えます。それは空想上のことに過ぎないと思っていましたが、マルチバースによると私たちが選択しなかったときの世界も質量を持って異次元に展開しているそうです。(しかしながら別宇宙では質量なども異なる事もあるため今ここにいる私と全く同じ姿かたちとしてあるとも限らないとの事)。

 

仏教には「仏国土(ぶっこくど)」という概念があります。意味は「仏が住在し衆生を教化する国土のこと。あるいは略して仏土ともいい、清浄な性質をそなえていることから清浄国土、浄土ともいう。また菩薩が理想世界を実現するために誓願を立てそれを完成し、建設した国土のこと。部派仏教の説一切有部では仏国土を釈尊が生誕し、仏陀となったこの娑婆世界に限っており、一仏には一国土しかありえないと考えた。大乗仏教では娑婆世界以外の他方に複数かつ無量の仏国土があり、それぞれに仏が住在して活動していると説いている(新纂浄土宗大辞典)」です。自分は仏国土をかつてお釈迦様がいらっしゃられたこの私達の世界と、それを浄(きよ)める(迷いから悟りに至らしめる)浄土の2つ」という了解でした。しかしマルチバース論に立ちますと、仏国土の数は一気に広がり、阿弥陀様のお働きも依然とは比べものにならないほどに広がります。

 

同時に感じましたことは、もしマルチバース仮説が正しく別宇宙に様々な私がいたとしても、迷いの存在である事には変わりないでしょうし、そのような私に本願は南無阿弥陀仏という呼びかけをもって働きかけてくるのだという事でした。

 

つらつら自分の人生を見つめ直してみますと「あの時、違う決定をしていたら自分は現在どうなっていただろうか」と夢想したり「あの一言さえなかったら人間関係も壊れなかったのに」などと愚痴をこぼしたりする事もあります。しかし人生は選択が一つ変わったところで迷いそのものからは逃れる事は出来ません。

 

私たちは人生において成功や幸せを求めそれ以外を排除したがりますが、失敗や思い通りにならなかった事の方が、自分の人生や生き方について考える大切なご縁となるものです。そして何より様々なご縁(条件・状況)が複雑に作用し、私という存在が今ここに奇跡的に存在している事の不思議さ・壮大さを感じました。

 

別宇宙の理想的に生きている私を夢想するより、今ここにいる自分自身の存在意義と生きる喜び(意味)を獲得する方が大事なのではないかなと思いました。

 

 

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