同朋新聞&行円寺通信2024年02月号 | 行円寺公式ブログ「その名も、行円寺(ぎょうえんじ)」

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同朋新聞ならびに行円寺通信2024年02月号出来ました。

 

 

まずは同朋新聞2024年02月号のリンク先です。

https://www.higashihonganji.or.jp/assets/pdf/doboshimbun/dobo2024_2.pdf

 

 

 

次に行円寺通信2024年02月号です。

 

 

《読むのが難儀な方は、下にある住職法話をコピペしワードで音声読み上げ機能をご利用ください》

 

困難こそ真実に遇うご縁
                     住職 釋 慈明
 2024年が大地震と飛行機事故により幕を明けるとは、元旦に修正会を厳修し参詣されたご門徒に新年の挨拶をした時点では思いもよりませんでしたが、仏教徒としては「こういう事も当然あるだろうな」というのが私の災害に対する心境でした。

 

 東本願寺発行2024年修正会冊子に「仏智の不思議を頼むべし」を寄稿された島津和嘉子さんは、亡きお父様の遺品整理の際に見つけられた日記をご紹介されています。それは弥彦神社初詣参拝者将棋倒し事故時(昭和31年大みそかから元旦にかけての新潟県弥彦神社初詣の間に発生した事故。死者124名、重傷者十数名)の周囲の悲惨な状況について当時17歳のお父様の言葉で書かれていたものでした。命の有限性を知りつつも他人事とし、「明日がある」「来年がある」と当たり前に思いさらに「いい年になりますように」と願う事が正月行事だと自分は思っていたし当時17歳の父も同じような事を思っていた。しかしそれを覆す現実が目の前に起こり、それが父の聞法の歩みになったのだと思ったとの事でした。
 島津さんは宗祖の「みだ仏は、自然のようを知らせんりょうなり(料)なり」(『末燈鈔』)をご紹介され、次のように述べられます。
 
『姿かたちのない阿弥陀仏は、私たちに「自然(じねん)」を教えて下さる材料(はたらき)、手立てであるといわれます。「自然(じねん)」とは、「おのずからその様になる」ことです。自分に都合の良いものだけを選び計らいながら生きている私に、阿弥陀仏は自然と「南無阿弥陀仏」とお念仏申すようにさせてくださり、常に私達を迎えようとはたらきかけてくださっているのです。
 思いもしないところから起こる苦悩を介して、そこから「本当に大切なものは何か?」と問い続けることが、自然と「生きる意味」となる不思議を父から教えてもらいました。誰しもが、のびやかにいきいきと自分を生きられる拠り所を問い直す修正会を迎えたいと思います』
と。

 

 新年初詣といいますと、「自分にとって都合のいい事をお願いする行事」というイメージが一般的でしょう。「厄除け災難」「家内安全」「商売繁盛」などを祈り、またそれらをご利益に謳(うた)い、熊手やお守りをグッズ販売し利益にしている神社仏閣も多いです。

 仏教は「諸法無我」を説きます。これは「形あるものないもの一切の存在は縁(条件・状況)により仮に成り立っているのであり、変わる事なく独立不変で存在している主体、いわゆる「我(が)」は無いというものです。諸法無我であるがゆえにすべての存在は自分の思惑とは無関係に刻々と移り変わっていく(諸行無常)のであり、自分の思い通りに何とかしたい・出来るはずだという妄執から解放された静けさの世界が悟りの境地(涅槃寂静・ねんはんじゃくじょう)です。

 

 そして私たちのご本尊阿弥陀如来とは、そのような私たちの在り方を「迷い」と照らし出してくださる働きです。そして、その照らし出されたわが身にその通りであると頷いた姿が「南無」です。ですから南無阿弥陀仏というお念仏は、阿弥陀様の「我に南無せよ(自らの身に目覚めよ)という仏の呼びかけであり、同時にそれに呼応した私たちの頷きです。

 

 自然災害や戦争をはじめ病気、受験失敗、失恋、死別など、人生において関わりたくない出来事は沢山あります。しかしそれもご縁です。自分の努力・都合でどうにかなるものもあれば、どうにもならないものもあります。自分に不都合な事から目をそらすのか、それともそれを真実に出会うためのご縁と頂き、向き合っていくのか、そこが問われているのだと思います。
 

 

東北教務所発行の諸行事ご案内パンフレットが来ました。以下をクリックし、ダウンロード願います。

 

 

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※真宗大谷派行円寺は高森顕徹や一万年堂出版、「親鸞会」とは一切関係ありません