敗因は・・・


物凄いシンプルなんですけど、

やっぱり「勉強不足」でしょう。


行政書士試験は難化傾向にあるとよく聞きますが


難化傾向にあるもののレベルに合わせて

同じく難しいレベルのモノばっかりやっててもきっと無理で

(難しさに際限はなく、リカバーしきれないから)


結局、

「基礎でどれだけミスしないか」

「基礎を発展させて、どれだけ応用に対応できるか」

これに尽きると思います。


行政書士試験の場合、

基礎力養成が予備校等の各種テキストと

あとは法学検定試験問題集との事。


他は教科によっては過去問をプラスするとか。

他資格の過去問を使用するとか。


これの理解が深ければ深いほど

基礎は強固になっていくので

ひっかけ問題等々に惑わされ難くなり、

さらには難問過ぎて、得点しなくてもいいような問題を

悩む事なくスルーする事ができ、

「確実に取らなくてはいけない問題」を落とすことなく

云わば、一番手堅く合格を掴む事が出来る。





上記の事は合格された先輩から教えていただいていた事だったりとか

あとは過去受けてきた資格試験で、自分が身を持って感じてきた事等なんですが


教えていただいたり、自分で体験していたりしながら

あとは「やらなければいけない事」を実行するのみだったのに

それが実行出来なかったのはひとえに

自分の覚悟のなさからくる「甘え」。


何かを得ようとする時、往々にして犠牲はつきもので

「自分がどれだけ、合格に拘っているのか」

言い換えるならば、

「辛くても、やり抜く覚悟があるのかどうか」、

その覚悟が強ければ強い程、「犠牲を払う」辛さが軽減される。



その覚悟がなければ、はじめからやらない方がいいと

私は以前から思っていて、

自分が納得できない状態でやめてしまえるものならば

最初からやらない方が、時間もお金も減らなくて済む。

そんな軽い気持ちで始めるものに、わざわざ犠牲を払う必要は

極端な話、ないのではないかと思っている。

それぐらい私は、自分にとっても周りにとっても受験は

辛いものだと考えている。


「犠牲」の中には「遊びたい」や「楽したい」という事のみならず、

人間関係も含まれる。

勉強時間を確保するために、付き合いが悪くなったり

試験直前には仕事を疎かにしなくてはいけない場合もあり、

職場・家庭での自分の立場を危うくすることがままある。





そういう事が分かっていながら、

中途半端な犠牲を払うことで留まってしまった自分。


「忙しいから」では、勉強不足の言い訳にならないのよ。

忙しいのはみんな一緒。

忙しい中でも、自分の出来る限りを尽くすことが大事なのであって

中途半端な結果、中途半端なやり方、

そんな事しか出来ないのであれば、始めから自分で自分に求めるなよ!って

自分を責めたくなってくる。



正直な話、社労士を既に取ってしまってって

全くの無資格じゃないという甘えが自分の中になかったとは言い切れない。


社労士の時のしんどい受験に耐えてこれたんだから、

今度の受験も頑張って乗り越えられるだろうという、

自分への過信がなかった事も否めない。




様々な気持ちの上での「甘え」が、

勉強不足という、受験生にとって致命的な欠点となって

試験結果に顕著に現れてしまったと思う。




不合格という結果は、確かに自分にとって厳しい現実だった。

しかし、ここで落ちなければ

私は行政書士に拘る気持ちが不確かなまま

とんとん拍子に開業まで持っていけたとしても

何も自分のやりたい事を成す事なくフェードアウトしていった可能性も高い。

開業してやっていくには、物凄いパワーと覚悟が必要だから、

元々資格に拘れない自分が、拘れないものを生業に出来るはずがない。


落ちたから、悔しい。だから、絶対に受かってやる!っていうのではなくて、

自己採点した時、「ほんまに行書の資格が欲しい、行書の知識が欲しい」って

再確認できた事が、私の「覚悟」の程を自分に認識させ

来年受験に払う「犠牲」の辛さを軽減する。




来年度への戦いはもう既に始まっている。

やる事、やらなければいけない事ははっきり分かっている。

ただただ「覚悟」を持って進むのみ。


来年この時期に、同じような記事を書かないよう、

どういう結果に転んだとしても

1歩進んだ自分であるように、頑張ります。