
田村由美先生が描く知性と人間ドラマの結晶、『ミステリと言う勿れ』。その第15巻がついに登場しました。累計発行部数1800万部を突破したこの作品は、2022年のTVドラマ化によって一躍国民的作品となり、久能整という唯一無二の主人公の言葉に、多くの読者が心を打たれてきました。
第15巻では、物語の舞台がまた一段階深く、そして濃密に進展していきます。巻を重ねるごとに深化するテーマ、登場人物たちの交錯する思惑と背景、そして整(ととのう)が紡ぐ「謎解き」というより「対話」のような解明。そのすべてが、この巻でも見事に表現されています。
■ 久能整の“謎解き”は、心を整える行為
まず、この物語の最大の魅力は、主人公・久能整のキャラクターそのものにあります。彼は探偵ではありません。刑事でもありません。ただの大学生。しかし、圧倒的な観察眼と論理的思考、そして何より「他者の心を深く見つめる優しさ」を持つ彼の言葉は、読者の心に静かに、しかし確かに響きます。
本巻でも、整はただ事件を解くだけではありません。関わった人々が「なぜ、そうしたのか?」を丁寧にひもとき、その人自身も気づいていなかった心の動きや傷に光を当てていくのです。これは単なるミステリー作品とは異なり、「人間」を描く文学的な深みを帯びています。
整のセリフはしばしば長く、哲学的です。しかしそれが不思議とくどくない。むしろ、読者の頭の中を整理してくれるような、不思議な「清涼感」があるのです。まさに、彼の名前が示すように“整える”存在。15巻でもその力は健在です。

■ 物語の舞台は美術館へ。絵画が語る「沈黙の真実」
今巻のメイン舞台は、美術館。ある展覧会に出かけた整が、ひょんなことから新たな“謎”に巻き込まれていきます。
田村由美先生はこれまで、大学構内、事件現場、旅先の古民家、遺産相続の渦中など、多様な舞台で人間ドラマを描いてきましたが、今回は“アート”というテーマを介して、人間の内面をより繊細に描いています。
美術作品に秘められた意味、作者の思い、見る者の解釈の違い――こうしたテーマを、整の視点を通して語られることで、美術が苦手な読者にとっても非常に理解しやすく、魅力的な世界として感じられます。
特に、今回のキーパーソンとなる“ある女性画家”の背景と作品に秘められた謎は、単なるトリックや伏線ではなく、「人が何かを表現するとはどういうことか?」という本質的な問いに結びついていきます。これは、創作をするすべての人に突き刺さる内容でしょう。

■ キャラクター同士の“間”が生む緊張感
この巻でもう一つ注目すべきなのは、整と新キャラたちとの関係性です。
この作品は、“派手なアクション”や“殺人事件の凄惨さ”を売りにしているわけではありません。それにもかかわらず、読み進めるうちにページをめくる手が止まらなくなるのは、キャラクター同士の“間(ま)”にある独特の緊張感のおかげです。
整は人との距離感を保ちながらも、ぐいぐいと核心に迫る。それが時に相手を怒らせ、時に涙を誘う。そんな“対話の駆け引き”がこの巻でも冴え渡っています。
特にあるシーンでは、整の“ある一言”が登場人物の心の蓋を開け、場面の空気が一変します。その瞬間の描写は、まるで舞台演劇のクライマックスのよう。静かな会話の中に、爆発的な感情のうねりが生まれる――それこそが『ミステリと言う勿れ』の真骨頂です。

■ 伏線と回収の妙。シリーズを読み続ける醍醐味
15巻ともなると、「そろそろ新しいことがないのでは?」と思う読者もいるかもしれません。しかし、この作品はむしろ「積み重ね」によってどんどん厚みを増している稀有なシリーズです。
今巻でも、過去に登場したキャラクターや事件との「さりげないリンク」が張り巡らされており、長年のファンなら「おっ」と声を上げてしまうようなニヤリとする仕掛けが満載です。
それでいて、新規の読者が読んでも楽しめる構成になっているのがまた巧み。長期連載でありながら、どの巻から読んでも物語に没入できる“間口の広さ”と“奥行きの深さ”を両立しているのです。

■ 漫画という枠を超えた「哲学的体験」
『ミステリと言う勿れ』は、「漫画を読んでいる」というよりも「哲学的な対話を体験している」ような読後感をもたらしてくれます。
人間はなぜ嘘をつくのか。なぜ怒るのか。なぜ誰かを愛するのか。そして、なぜ過去を手放せないのか。
整の問いかけは、事件の真相を解き明かすと同時に、私たち自身の内面にも向けられています。だからこそ、この漫画を読むことは“謎を解く楽しさ”に加えて、“自分を見つめ直す時間”でもあるのです。
15巻では、美術という「静かなる言葉」が象徴するように、声なき叫びに耳を傾けることの大切さが描かれます。誰かの苦しみに気づくこと、見えない声を拾うこと、それが“優しさ”であり“思いやり”なのだと、整は教えてくれるのです。

■ まとめ:ミステリーの形をした“人間ドラマ”の極致
『ミステリと言う勿れ(15)』は、事件を追う物語でありながら、実は人の心を紐解く物語でもあります。整というキャラクターを通して描かれるのは、「正しさ」ではなく「理解」の物語。誰かを裁くのではなく、理解しようとするその姿勢こそが、この作品の根底にある優しさです。
この巻を読み終えたとき、ふと自分の周囲の人たちをもっと丁寧に見つめてみようと思えるかもしれません。そして、少しだけ自分の心も整ったような気がするはずです。
15巻もまた、“読む人の心を整える一冊”として、多くの読者の本棚にそっと寄り添ってくれることでしょう。
