久々のバレエマチソワ「くるみ割り人形」夜の部 | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。


2024年1月6日18時公演

【18時公演】
クララ:小野絢子
くるみ割り人形&王子&甥:福岡雄大
ルイーズ:飯野萌子

小野絢子さんの凄みは、なかなか筆舌に尽くしがたいと思う。彼女が踊った舞台を見ると、結局彼女の魅力の謎を解き明かすのにあーだこーだと考えてしまい、他のことがおろそかになってしまう…んです。

清楚で精緻、こう踊って欲しい!というののど真ん中にくる正確さ。
それは誰しも認めるところだと思うのですが、私にとってさらに「小野さん!」と思う点は、余計なものを極力排除して研ぎ澄ました刃物のような動き、かなと思います。それを「派手さがない」という言い方もできるのかもしれません。
でもねーこの一見地味な派手さ(人を惹き付けるという意味)って、めちゃ難しいと思うのですよ。
彼女がかなり長くやっていたという日本舞踊の残り香なのかもしれないし、私が「でたとこ勝負の、パワー&ガッツある雑な派手さ」があまり好みじゃないのもある…けれども。

たとえばシルヴィ・ギエム。不世出の天才。
リアルで彼女のダンス・クラシックを見ていた時代には、本当に誰も彼女以外出来ない動きの連続で、もうもう、瞬きするのも惜しいほどでした。観客は熱狂し拍手をおしまなかった。
そして今、彼女くらい脚が上がり回転する人は、います。彼女を規範とし彼女に続いたダンサーがたくさんいる。よく言われる、誰かが記録を破るとその後次々と破る人が現れるって話にも似ています。
もちろん、ギエムは確実にダンスの世界を変えたし、ぱっと見、似た動きが出来ていたとしても…たとえば脚を降ろしてくるときの完璧な制御のされ方とか、やはり彼女一番よねー誰にもできないわーと思う点もあります。革命家です。リアルで何度となく見られたのは、私の舞台鑑賞ヒストリーの中でも指折りの幸福だと疑うところありません。
でも、こういうのは真似されるんですよね。分かりやすい凄さというもの。

翻って、小野さんの踊りは非常に真似しにくいと思う。最初から真似なんて放棄されてるかも…何でだかよく分かりませんがそう感じる。彼女が、「外からの見た目」よりも「内なる彼女が命じる、こうすべき動き」を優先してる…みたいな感じでしょうか…。

そんな小野さんのクララは、もう何の文句もございませんというか。
ただただ、素晴らしかったです。
友人たちはみくりファンでもありますが、マチネの後でこれを見たら
「いやもう、いいとか悪いとかではなく比べるもんでもないけど、全然違う」
とため息ついてました。
彼女に言わせると、小野さんの座長感は凄いらしい。彼女が周りの踊りに与える影響、そのパワーがまた彼女に返ってくる…と。
新国立ばかり見てる友人なので、多分そうなのでしょうね。

さて、相手役の福岡さん。
小野さんあっての彼という感じになっちゃってるけど…いやいやまだ翔ぶし、小野さんと組んだときの安定感とか、何者にも代えがたい。
そして最近私、福岡さんて男の色気があるというか、セックスアピールあるのかも?と思い始めて来ましたぞ。
(まあ、尾上松也に似てるというのもあるんだけどね)

どこの何の団体でも同じですが、世代交代は痛みを伴うもの。新国立劇場バレエもそろそろそんな時期に差し掛かっている気がします。
ピークとは、ピーク過ぎて初めて「あれがピークだったんだ」と分かるものなんですよね…。日本の経済成長みたいに。