そらショックのまま花組を見に行き(幸か不幸か職場から劇場まで歩いて10分)、そこでもまた「このコンビも来年は…」とか思ったりして、終演後、やけ酒。
終電で帰る(←おまえ何歳だ)。
なんだかボーゼンの一夜があけて。
それでもやはり昨日のことは現実で、時計は平然と時を刻み、いつものように1日は過ぎていきます。
「鴛鴦歌合戦」は新人公演を先に見てしまいましたが、やはり本公演は本公演だけのことはあって、芝居が大きいというか、派手さもまとまりもありました。ものがたりに、安心して身を委ねられる。
れいちゃんはモテモテ男を洒脱に演じ、立ち回りもスーパー素敵。町娘まどかちゃんはめちゃ可愛くてこれまた良かったです。こういうの似合う。友人が「間(ま)が凄くよくなった!」と誉めていました。
バカ殿の評判高かったひとこちゃん、いやー綺麗だなあ。あんなに美人なのになんで青天の男のひとやっても綺麗なんだろう…「眉目秀麗」という言葉を聞くと、彼女のことをまず思い浮かべます。見ても見ても見慣れない宝塚界のひとびと。
しかし、れいちゃん→ひとこ→ほのかなんて、どんな美男三兄弟なんだよ!お父さんだれ!
ご卒業のしーちゃん、うららちゃん、それぞれいい役で何よりです。
小うららちゃんは一時娘①候補の一角だったのかもしれないけど…娘役は難しいですね…。
しーちゃんがいなくなるとこれまで以上にビックが歌うようになるんですかね?
三吉は新人公演主演の天城れいんくん。出番も歌もあって、らいとくんのあとは彼女が推される感じなのかな。
とか、いろいろ他愛のない感想はへらへら書けるのですが…やはりこれが、終わるとあと卒業まで一作を残すのみの作品になるとは…なんだかなーという思いが拭えません。いえ、れいちゃんは素敵です。だけど最大級ですか?全開ですか?ってこと。
時間が惜しい、もったいない。なんで。
ショー「グラン・ミラージュ」は大層既視感があって、まあびっくり仰天とかはせず心臓は規則正しく脈打ってるわけですが、あまりにクラシカル。
これってれいちゃん向きですかね?と再度私は天を仰ぎ、ミラーボールに問う。
あ、でもひとこのダンスの良さを改めて感じました。彼女のリズムの取り方には独特のものがあって、同じ振りでも凄く目を引きます。「ひとこリズム」だとすぐわかる。長い手脚が描く、誰とも違う弧。いいですねー。
彼女と踊ると3番手さんは分が悪い…。「プリンスオブローゼス」(だっけ?)では頑張ってるなーと思ったんだけどなあ。やはり比較対象があるからかしら?
と、とにかく頑張って!ダンスの組の2番手になるんだから。
まどかちゃんはすっかり娘①のスタイルになって、娘①歴の長さを感じさせました。いろんなことが、あったよね…。
れいちゃんとまどかちゃんが、去っていく。
ともに研1とか2とかから絶えず注目されて、センターに立つことを運命付けられたふたり。彼女たちの生活は、彼女たちだけのものではなかったかもしれません。
「鴛鴦」でれいちゃんがひとこに「立場がひとを作る、運命を受け入れろ」と香合を手渡すのは映画にもあるのかな?それとも小柳先生のオリジナル?
とてもとても宝塚っぽい並びである、柚香光と永久輝せあ。宇宙船から降りてきても納得しちゃうれいちゃんと、絵に描いた憂愁の貴公子みたいな、ひとこ。ほんとうに…あと少しなの?
そしてこの日、宝塚沼に遠慮なく落とされた爆弾、雪組3番手の卒業。
もはや私たちは、手の届かないところで何かが決まるのだと無力感を抱かざるを得ない。
どうしてなんだろう…誰か適切なジャッジができる人はいないの?と、もっていき場のない怒りや失望を抱える…。
卒業は必ずやってくる。それが宝塚の活力。
それでも私たちは淋しくて悲しくて、いろんなものを恨んでみたり。
でも思う。悲しみには慣れなくていい。
とても悲しくて切なくてやるせなくて、何かのせいにしたかったりするけれど、それはこんなにも誰かを好きだった証だもの。
私たちは毎回悲しんで、ときに泣きあかして、でもまた立ち直るのだ…宝塚歌劇みたいに。
どんなスーパースターが去ったとて、また新しい芽があちらにもこちらにも芽吹いてる。
自分にとってはパーフェクトな代わりにはならなくても、そのニュースターは新しいファンを連れてきて、思いもかけぬ化学反応が起こったり。でもそれは一年くらいで交替して、またみんなで泣いて。その繰り返し…。
悲しんでいる自分とともにあろう、と思います。
とても苦しくて辛いけど。