静かなるモンスター、小野絢子。新国立劇場バレエ「白鳥の湖」 | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

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鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。

 

2021年10月30日18時公演
 
白鳥の湖は、いままで何回観てるのがちょっとわからない。クラシックバレエ好きにとって「鉄板」というしかない演目です。
名だたる名手が自らのカンパニーの持ち版を踊り、ダンサーというより「ザ・バレリーナ」としての正統性を競ってきた(と思う)。
読み替えも沢山ある。衝撃のマシュー・ボーンは別ものとしても、オーストラリアバレエのグレアム・マーフィー版は結構好きだったし、ハンブルクの「幻想・白鳥の湖のように」は賞賛したいところだけど、私はいまいちよくわからないんですよねー(笑)。とかとか。
バレエファンにはそれぞれの「白鳥の湖像」があると思います。
 
吉田都さんが芸術監督になられて、新国立劇場にピーター・ライト版がやってきた。私はおそらく初見かと。
 
そして、なんとまぁ予想外に泣きそうになってしまった私…今さら白鳥で泣くとは…。
 
①ピーター・ライト版のものがたり性がすごい。さすが、演劇の国。
冒頭に父王の葬儀の場面がさらっとあり、王子と王妃の服装も黒(喪服)で、その死が惹起した悲劇なのだと語らせている。
2幕の身の上話のマイムも大変長くて雄弁。
3幕の、民族舞踊がプリンセス(花嫁候補)たちのお付きだというのはときどき見る演出ではあります。
そしてなによりも4幕目。王子とオデットが「ともに死のう」とここで相談(?)していたのだなーと思わせる場面あり、それを阻もうとするロットバルトと、立ち向かう白鳥の群舞の迫力、美しさ。
ストーリーの納得性と舞台構成・振付がリンクして「白鳥の湖」の本来的な悲劇性にこころ打たれ、この作品でまさかの涙が出てきました。
前出の「マシュー・ボーンの白鳥」の4幕も凄かったですが、あれはキワモノに近く(大好きだけどね)、このライト版の終幕は比較的原典に忠実。それでいて物語の輪郭を鋭角的に彫り出しており、本当に素晴らしかったと思います。
 
②オディールのアダジオ→ヴァリエーションがすごい。
この踊り、ガラコンサートで取り上げられる頻度も高く、それこそ100回や130回は見ていると思います。
見慣れているはずで、私のようなバレエ未習得者でも振付の変更もわかる。そんな超有名ヴァリエーションなのに目が離せなかった…なぜだろう。
グラン・パ・ド・ドゥのアダジオも含めて「黒鳥」はいくらでもあざとく、クセをつけて、派手にセクシーにできると思う。白鳥のオーソドックスさに比べて、自己表現欲・承認欲求の高い現代女性には演じやすいキャラクターです。オデットの方が難しいね、多分。
(踊り手としての小野さんはオデット寄りの人だというのは、みんなわかってると思います)
で、小野さんのオディールにはそんな「衒い」が一切ない。
なのにオディールの邪悪性、人格の欠如…悪の象徴というのがじわじわ伝わってきたのです。時間の経過に連れてだんだんと暴力的な笑顔になっていくさま、本当に怖かった。悪というものは、こんな風にひとを侵食していくのであろうと。
余計な飾りつけを排除しているのに、どうしてこんな静謐な迫力が出るのだろう。まさにオデットオディール2人が同等のヒロインだった。
小野絢子、恐るべし。
 
③小野絢子というひと
彼女が遅咲きであるというのは、あちこちで読んでいます。かなり大きくなるまで、日本舞踊(一見バレエと正反対の重力との付き合いが必要で、よく両方できたなと思う)もやっておられたらしいし、「17歳になるくらいまで、プロのバレエダンサーになるとは思ってなかった」とか。
…なんだかねーこういうの読むと、巷の「バレエママ」とか一体どう思うんだろう。
バレエって、ほんの小さいころから頑張って頑張って、見込みある子は(少し妙な)高いプライドを持ちつつ、他のもの放り出してバレエ一ひと筋、エリートだけが生き残るという印象です。家族ぐるみで一生懸命。
なのに小野さんは「本気で目指したのは17歳くらいのころ」なんておっしゃる。おそらく今日本で一番客を呼べるダンサーが、ですよ…。
 
小野さん、「今も夢を見ているんじゃないかと思う」(=バレエダンサー生活のことだと)ともおっしゃってます。
完全に私見ですが、こういう彼女の夢みがちな部分、「成功目指して躍起になってる」感が薄いところが、彼女の現実離れした美しさ、「欲」周辺のものと遠い雰囲気を醸し出している気がするんですよねー。
なんつーか、現世での利益(?)とか名誉とかじゃなくて、ここにない何かを目指してるというか、逆にただ、自分だけに向き合ってるというか。
 
彼女ももはや若くありません。35歳くらいが技術と作品理解の良き両立がピークになると言われる。
もし見たことのない方がいらっしゃったら、ぜひとも一度ご覧になることをお勧めします。
 
ピーター・ライトのドラマ性と、小野絢子の極められた特性。
このふたつのベストバランスがあって成立した、稀にみる「白鳥の湖」だったと思います。
 
(あーいろいろ消化できなくて、書くのに時間かかった…)