
長年会社員してるので、純粋な舞台ファンという眼からだけでなく、企業として「ゴーイングコンサーン」なことを考えてしまいます。
伝統ある宝塚歌劇団、その生き残りをかけて何をせねばならないか?
そのための長期・中期・短期計画は?
生き残りのためにはメリットを生かし、デメリットを最小化する。
メリットはいま宝塚に追い風が吹いていること。100周年露出が成功した。駄作と言われてもチケットは一般にはなかなか出回らないし、100周年前と比べるとチケット入手は困難を極めます。貸切も増えてる。人気だから営業もしやすいんでしょう。
デメリットは顧客の高齢化(まあ宝塚に限らないんだけど)。そしてチケットの不足。「1回は見てみたい」という人がこんなにいるのにチケットが出回らない。このまま人気に胡座をかいていては先細り。
その解決のため、ここにきて劇団は前近代的なシステムに別れを告げようとしていると思う。すなわち、ファンクラブへのチケット依存度を縮小し、より開かれた劇団へと。
一年と少し前にとある方から「生徒にチケットが降りてくるシステムが変わって、全く読めなくなった」と聞きましたし、それこそ半世紀以上見ておられる方ももはや大規模な取り次ぎはできないと仰せです。
売り上げ好調なときに滞っていた返品や債権を一気に会計処理してしまおうと考えるのは、企業として当たり前すぎのこと。
一般へ出回るチケット(貸切含む)を増やして一部のファンの声の影響度を少なくし、劇団の中期・長期計画の遂行を可能にする…。すなわち企業では当たり前の近代化…。
宝塚を再度見始めたとき、私はそのシステムの古めかしさにびっくり&郷愁を覚えたものです。生徒がチケットを引き受ける現金決済。なにもかも「紹介」がモノをいい、表向きは完売でもファンのなかでは「誰か行ってくれない?」の公演の多いこと。
興行にはつきものの慣習だと思うし、全部やめちゃう必要も全然ないと確信しますけど、要はバランスなんだと思います。もっと開かれた、キワモノでない優れた芸能なのだと万人に知らしめたい。そのためにはファンの声に過剰に左右されてはならない。
今、過酷な人事を行ったところで、以前のように売り上げに影響しない。と、劇団は試算しているのだと思います。宝塚はロングランしないので、ある公演を見たい人の半分しか見られないと、その売り上げは回復しないのです(唯一の策はライビュ)。逆に言うと、今まで5回見ていた人が2回になっても、3人の新規客がいればいい。その3人のうち1人が新しいファンになってくれればよい。そう、できれば若い客で(笑)
一方では、中期計画として今のどの若手をどういう布陣にするかがある。会社じゃ、同じような幹部候補生の誰を抜擢しようがたいして変わりませんが(←暴論😆)、芸能は人気商売なのでトップキャスティングは死命を決する。劇団が無計画なわけがありません。メーカーでいうと商品計画。
その中核に95期と100期の生徒がいるのは確かかと(それをキャッチフレーズにするかは別です)。
ただ、人気は水物だから無論保険もかけて。
その遂行のために、愛されてきた上級生が切られる、という事態もあり得ると考えます。骨を切らせて肉を断つ…経営はいつの日も痛みと無縁ではいられない。そのときに、ファンの涙ができるだけ売り上げに影響しないように手を打ってきた。
10年前くらいの雪組の騒動に学ばないのか?という声はありますが、劇団は違うことを学んでいると思う。「同じ轍を踏むまい」ではなく「なぜ失敗したのか?その要素を除外するには?」と。
ただなあ…私、歌劇団の顧客ビジネスって、ホント凄いと思ってるんですよね。ジャニーズや秋元さんが真似するくらいだもん。っていうか、顧客ビジネスを突き詰めていくとこうなるんだろうという形。
これと全面的に別れを告げてしまうと、いつの日にかとんでもないことが起こるような気がするんです。ずっと今みたいな好調が続くわけでなし、宝塚はファンあってこそ104年続いてきたわけで。アラン・ショレが把握してない秘密が一杯あるんですよ、きっと。
なにごとも物事はバランス、というのを忘れないでいただきたいな…と、ファンの端くれとして願っております。