何故かは知らねど…年末年始って歌三昧になりますよね。第九に紅白、かつてはレコ大なんてのも大晦日でした。
今はセミプロみたいな方の歌披露の番組なども あって…いや、もうもうもう、本当に皆様うまいっ!高音はどこどこどこまでも澄んでるし声量はすごいし、音程はずさないとかそんなレベルは前世に済ませてますしって感じで、それでお金もらってるプロは、こっそり青ざめているかも。
やはり、生まれたときからカラオケがある環境というのがあるのかな~。
少なくとも歌の「うまさ」だけで世に出るのは、針の穴をくぐるという形容が似つかわしいでしょう。(そうかと思うと、紅白をよそ見しつつ「聞いて」て、この微妙な歌はいったい…と振り向いたら、あのキャンディボイスの偉大な歌姫だったという衝撃…。ファンの方すみません)
よく言われていることではあるが、アマとプロが限りなくボーダーレスな時代ですよね。
今、歌がうまい人が世に出るための要件は、
①その歌に合わせてかっこよく踊れる
②素敵な歌を作れて、それを素敵に自分で歌える
③音域声量が尋常ではなく、差別化できてる
④あまりに声質が美しすぎて皆をうならせる
⑤他の何かはどうでもいいくらい本人が美しい
くらいでしょうか…。
②以外は宝塚スターにも当てはまるかも。
特に⑤は宝塚には不可欠ですよね。よくヴィジュアル自慢の贔屓の方と話していると「あの人の歌には心動かされるの…❤うまいとかそんなのどうだっていい」(←多分上手いかどうかすでに分からなくなっている)ってな話になります(笑)
芸というものについて、いかに好みが関与していることか…要するに、
⑥歌の向こうにドラマが見えて感動する
ってことなのですよね。これ、強いです。客観性から果てしなく遠いので、ロジカルに反論不可能。「ドラマ」は聴き手が脳内創造できますので、好きだという感情の支配が著しいのです。
でもな~あえていうと、私はあまりの音程迷子や、がなってばかりの人は、どんなにドラマチックでもダメかもな😅
先般のエリザコン、とある方のトート姿はカッコよすぎ!でしたけど、その歌に完全に船酔いというか、酷使された三半規管を抱えてへろへろになってしまいました。私の打ち砕かれた様子は、なんなら「素敵すぎてヤられた」さまに似ていたかもしれません。
でもある友人は「脳内変換してるからまったく問題なし」と、感動して泣いていた。
…人間の脳のスゴさよ。同じものを聞いてかくも別方向の高度な作業に耐えられようとは…。
昨年11月に観た「ひかりふる路」にしろ、私は望海さんの歌は想像内で、ストーリーの納得性の方が気になってたまりませんでしたし、「歌ばかり聞いてしまってストーリーは新公の方が腑に落ちた」という意見もなくはなく、とにかく「歌に圧倒された、宝塚でこんなものを観ようとは」という感想も多々見ました。
ま、歌に物語を語らせるというのはミュージカルでは当たり前なんだけど(笑)、それだけ多様な見方を、宝塚歌劇はされているということなんでしょうね。巧さなんてここに求めてない、という意見もたまに聞きますし…。
1月2日のNHK放映でも「日本を代表する華やかなエンターテイメント」と紹介してもらっていて、100周年の露出は成功したのだなあと受け止めています。
歌のうまい人、ダンスが得意な人…もはや山のようにいて、日本の文化成熟度に比例して観客の見る眼もどんどん上がっていくのだけど、美しくて舞台スキルも高い団員と、虚構を演じるのに長けた集団とシステムを有した宝塚が、今年も繁栄を続けますように!