昨年3月から4月にやった仲間内での野球トーク議事録その9をご紹介します。

 

 

・日本での知名度が低かったヌートバーが、WBCであれほどにも活躍するとは全く思っていなかった。当初は言葉の壁や外野守備の連携が不安だった。

・栗山監督がヌートバーを選んだ際に、野球ファンへ「みんな好きになりますよ」と語っていて、本当にそうなった。

・ヌートバーが活躍した一方で、韓国代表で出場したトミー・エドマンは振るわなかった。

 

・栗山監督はヌートバーを選出するにあたり、ヌートバーの映像をいろいろ見てきたと、ヌートバーのお母様・久美子さんは話していた。栗山監督は人たらしである。

・ダルビッシュは年を重ねるにつれて自分自身を律することができるようになった。しかし中田は、やんちゃなまんま年を重ねて行った印象がぬぐえない。

 

・中田が問題を起こしてトレードに出されたのは、当時日本ハムを率いていた栗山監督の手に負えなかったか。ただ、栗山監督だから巨人へトレードという形で、野球人生が終わらずに済んだという見方もある。ロッテの清田やDeNAの乙坂は、問題を起こして解雇されただけに。

 

・中田の巨人無償トレード移籍で良くなかったことは、中田本人でなくても栗山監督が説明するなど、日本ハム側が中田のことに関する会見をしなかったこと。それすらもなく巨人への移籍が発表され、即1軍出場という流れが良くなかった。巨人ファンでも移籍が決まったと聞いて訳が分からなかった。

 

・大谷やダルビッシュ、栗山監督のWBCでの活躍で日本ハムは株が上がっているが、中田騒動にしてもノーテンダー騒動にしても日本ハムは球団運営が最近良くない傾向にある。悪いことをどういうわけか偶然やってくる良いことにかぶせて、うやむやにしてしまっている。

 

・1999年シーズンは開幕戦ショートは川相さんだったが、翌日からは当時ルーキーの二岡さんをショートで起用するようになった。この時代あたりには川相さんは2番を外れていて、1番仁志さん・2番清水さんの打順が定着していた。

・今の若い選手はまず練習で量をこなすことが重要。量をこなせないことには質を追い求めることはできない。

 

・私が高校生の頃(2008年3月卒業)は校則で携帯電話が禁止されていて、何か連絡する時は校内か通学路にある公衆電話にテレホンカードを入れて電話していた。

・今は公衆電話を見つけることが難しくなった。

 

・1980年代か90年代前半の携帯電話は、そこそこ大きさのあるショルダーホンだった。

・携帯電話が普及したのは1990年代後半か2000年入るか入らないぐらいの頃。ポケベルやPHSがあった。スマートフォンが普及し始めたのは2010年代ぐらい。

 

・日本との国交がちゃんとしていない国や、総領事館の無い国に滞在していて何かトラブルに巻き込まれると、大変なことになる。

・WBCやプレミアといった本大会以外にも、年に1回は代表の試合が組まれるので、その際にユニホーム付き席を多く販売して、ファンが代表ユニホームを入手しやすくして欲しい。

 

・昨年のWBCを踏まえると、ユニホームの需要に供給が追い付いていない。とりあえず背番号無しで良いからユニホームを大量に販売して、後からアイロンプリントで好きな選手の背番号とネームを圧着できる体制を整備して欲しい。

・だんだんと野球での代表戦文化が根付いてきて、自分が応援しているチームのユニホームを着ている人よりも、代表ユニホームを着て応援する人の比率が上がってきた。

 

・昔はオールスターで巨人の選手は他球団ファンから応援してもらえなかった。

・まだ栗山さんの後任となる代表監督が決まっていない時は、工藤公康さんや古田敦也さんの代表監督を見てみたいという声もあった。

・今年の秋にプレミアの応援で台湾に行く計画が浮上。日本と台湾の時差はたった1時間。

 

・台湾には成田空港から4時間で行ける。

・かつては仲間内で悪ふざけで、ランナーが一塁にいる時に村田修一さんがどういう流れの併殺打(6-4-3なのか4-6-3なのか等)を打つか、予想し合ったことがあった。

・ヌートバーへのヌーイングは元々メジャーではおなじみの光景だった。

・台湾プロ野球の試合は内野席1,000円で観戦できる。

 

 

その10へ続きます。