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自分の学生時代を思い出してみると
いつも親父が一緒に学んでいたような気がする・・
最初に学んだのは卓球でしたぁ~
船員だったので自由時間では卓球しか身体を動かす場所がなく、あまり大きな声では言えませんが賭けていたらしいです・・・・
だからホント真剣ですねぇ。
身体が弱くやっと少々運動が出来るほどになった子供に真剣に打つは、キルは・・
全く勝負になりません。
親父が空振りする以外点数なんか取れなかったことを覚えています。
毎日の卓球試練で『卓球小僧』と呼ばれた事は黙っていますが・・
その後、O・N全盛だったこともあり喘息を治すために体力をつけようと野球を始めたのですが、どうせやるならリトルリーグで本格的にやろう!
言い出したのも親父でした。
私は元々左利きだったと思われますが親父は
当時南海ホークスの野村が大好き!
自分のグローブとキャチャーミットを買ってきて
私にキャッチャーミットを渡しキャッチボールを
毎朝最低でも10分する事が日課になった。左利きなのに・・・・
初めて野球する体の弱い私に容赦ないボールを投げてくるは、
暴投するはで最初は10分のキャッチボールは
玉拾いで終わる事も多かったし、足腰を鍛えるために
学校の登下校はランニングでした。
ほとんど命令のようにさせられていましたが今の柔らかい
筋肉の下にまだ残っている筋肉の基礎が出来たのも
この頃のランニングを毎日繰り返したお陰でしょうね。
中学に入って担任がバレーボール部の顧問が担任だった事もあり、
野球では全国大会ベスト16になったにもかかわらず
ほぼ無理やりバレー部に入れられ、甲子園出場を夢見ていた
親父の夢を打ち砕いた時かなり頭に来て
バレーの練習を見学に来た時の一触即発状態を今でも覚えている。
しかし・・ 翌日家にバスケットリングが設置されていた・・
今までキャッチボールが日課だったが、
その日からワンバウンドしたバレーボールをリングに入れる
パスなどが日課になった。
24歳の時親父が他界し荷物の整理をしたとき
野球とバレーボールの入門書が見つかりました。
かなりワンマンな親父でしたが一緒に学び、
一緒に成長してくれた・・
教育って・・ 成長って・・
ただ勉強させるだけではなく、一緒に頑張ってくれた
親父の凄さを今実感できた事に心が温かくなります・・