雑話236「絵画の題名」
最近、市場が過熱気味のコンテンポラリーアートの作品のタイトルには、作品と同様の分りにくいものがつけられていることが少なくありません。
例えば、先月にNYで開催されたクリスティーズのオークションで、6624万5千ドル、日本円で66億9千万円という高額で落札された、マーク・ロスコの作品には、「無題」というタイトルがつけられていました。
マーク・ロスコ「無題」1952年
コンテンポラリーアートの作品にはよくこの「無題」というタイトルがつけられています。
同じオークションで3488万5千ドル、日本円で約35億円で落札された、ジャン=ミシェル・バスキアの作品にも「無題」とつけられていました。
ジャン=ミシェル・バスキア「無題」1981年
分りにくい題名ということなら、日本画の大家にもそういう題名を好んでつける画家がいます。
近代日本画を代表する画家のひとりである杉山寧の作品の多くには、漢字一文字の題名がつけられています。
しかも、その漢字は普段お目にかからないような、難しいものがほとんどです。
杉山寧「穹」1964年
ちなみに上のタイトルである「穹(きゅう)」とは「おおぞら」という意味です。
それとは対照的に、印象派やエコール・ド・パリの画家たちの多くの作品には、「少女」や「裸婦」などといった平凡な名前がつけられています。
このようなタイトルの大半は、恐らく画家がつけたものではなく、それを買った画廊などが売る際に便宜上つけたものでしょう。
それを証すエピソードとして、ルノワールの言葉をあげましょう。
彼は売り立てに出された自分の絵に勝手につけられた題名に憤慨して次のようにいったそうです。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「物思い」1878年
あのいまいましい画商という手合いは、大衆が感傷的であることをよく知っているんだ。
だから、私のあわれな娘にへどが出るような題をつけたよ、・・・(中略)
奴らはあれを『物思い』と呼んでいるんだ。
それから、彼はいたずらっぽく目を輝かせてこういったそうです。
・・・私のモデルたちは、何も考えないよ。
作品のタイトルに対する芸術家たちの気持ちも実に様々ですね。



