雑話234「ミュシャ 千載一遇のチャンス」
アルフォンス・ミュシャは、19世紀末にパリで活躍したアールヌーボーを代表するグラフィックデザイナーです。
彼の名前は知らなくても、ミュシャの優雅なポスターをご覧になったことのある方は多いことでしょう。
アルフォンス・ミュシャ「ゾディアック」1896年
ミュシャが有名になるきっかけとなったのは、19世紀のヨーロッパでもっとも有名な大女優であるサラ・ベルナールのポスターを制作したことでした。
ヨーロッパやアメリカの舞台で名声を得た彼女は、「聖なるサラ」との名を博し、プルーストの「失われた時を求めて」の女優ラ・ベルマのモデルにもなりました。
サラ・ベルナールの写真
さて、当時のミュシャは、絵がさっぱり売れず、挿絵の仕事で生計を立てていました。
そんな彼に大女優であったサラのポスター制作の機会が巡ってきたのは、彼女のポスターを描いていた画家がクリスマス休暇中で、彼女の急な依頼に答えられなかったためでした。
その画家と同じ印刷所に出入りしていたミュシャは、クリスマスでも休暇も取らずに働いていたお蔭でチャンスを引き寄せたのです。
劇場に着ていく衣装を借りてまでしてサラの舞台に出かけたミュシャは、自分の目に焼き付いた芝居のクライマックスの瞬間を見事な作品に仕上げました。
アルフォンス・ミュシャ「ジスモンダ」1895年
町で盗難が相次ぐほど評判になった「ジスモンダ」は、シュロの葉を手に舞台に立つヒロインを演じるサラを描いたものです。
サラもこのポスターに非常に満足したようで、自分で何枚も買い込んだ程でした。彼女はこれ以降、自分の芝居のポスターをミュシャに任せるようになりました。ミュシャはまさに、千載一遇のチャンスをものにしたのです。
ミュシャのポスターが人気だった理由の一つは、彼が芝居の印象的なシーンを効果的に切り取ることができたからでした。
アルフォンス・ミュシャ「エメラルド」1900年
それには、絵が売れない彼が生活のためにやっていた挿絵の仕事が役立ちました。
挿絵も物語の重要な場面や、読者が興味を持ちそうな場面を描くもので、それは芝居のポスターも同様です。
さらに、彼は臨場感あふれる絵を描くために、写真を利用しました。
上の「エメラルド」の元となった写真
アトリエに舞台を設えて、モデルを女優に見立てて劇的な場面を再現すると、それをカメラに収めて残すことにより、細部まで細かく仕上げることができたのです。
これを機にパリで成功を手にしたミュシャは、その後アールヌーボーの巨匠と呼ばれるようになっていったのでした。




