雑話215「モネ展②」
先週に引き続き、「モネ、風景を見る眼 19世紀フランス風景画の革新」についてご紹介します。
第3章 反映と反復
光の表現の探求は、モネの眼を自然の外観のさらに奥へと誘いました。
モネはしだいに、モティーフの反復や水面の反映像、そして連作の形式などを用いつつ、自然に内在する造形美や詩的な喚起力を、絵画空間における装飾的、象徴的要素として生かし始めました。
クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」1891年
しばしば浮世絵の影響が指摘されてきた「陽を浴びるポプラ並木」では、明確に装飾的な画面構成が行われています。
モネはおそらく舟の上で、視線は川面の高さにあり、垂直に伸びた木々の上部は画面の上端で断ち切られています。
木々と水面の反映像が織りなす直線のラインと、遠景の並木道の蛇行線の交差が画面に音楽的なリズムを生み、自然の風景でありながら、きわめて装飾的で、幻想的ですらある空間が作り出されています。
風景と人物の造形的、心象的呼応や、視覚と聴覚の呼応は、同時代の象徴主義の作品にしばしば見られます。
エミール・ベルナール「吟遊詩人に扮した自画像」1892年
ベルナールの「吟遊詩人に扮した自画像」では、森のなかを二人の貴婦人がそぞろ歩き、その優美なシルエットに木々は呼応するように曲線を描いています。
この夢幻的な風景は、画面手前でリュートを奏でる吟遊詩人=画家の心象風景かもしれません。
第4章 空間の深みへ
1883年、ジヴェルニーに転居したモネは、セーヌ河とエプト河が合流する自然豊かな水辺のこの土地で後半生を過ごし、多くの着想源を見出しました。
特に自宅の庭に整備した睡蓮の池は、モネの代表作となる「睡蓮」の連作をめぐる数々の作品を生み出していきます。
クロード・モネ「睡蓮」1916年
水底から水中、空を映した反映像と、幾層にも重なる複雑な水面の表現に魅せられたモネは、画面の奥、壁の奥へと向かって広がる水の小宇宙を描き出しました。
絵の前に立つ鑑賞者は、画家の眼とともに、壁に立ち上がった水の深みを見下ろすことになるのです。
1903年に始められた睡蓮の連作では、モネの眼は水面に接近し、周囲の木々は池の面に揺らめく反映で暗示されるだけとなり、光と影が繊細に戯れる水面の表面の表現で画面は覆われていきます。
当時、モネは「水と繁栄の風景に憑りつかれてしまいました」といっています。
クロード・モネ「睡蓮」1907年
上図の「睡蓮」の淡い色調と柔らかい筆遣いで描き出された水の空間は、装飾的であるとともに、靄に包まれた鏡のなかを覗き込むような不思議な浮遊感に満ちています。
力の流れがどの方向にも均等に向かう正方形のキャンヴァスは、空間の抽象性を高めています。
ここに描かれているのはもはや具体的な「ジヴェルニーの池」ではなく、抽象的な「水の風景」なのです。
第5章 石と水の幻影
モネは1892年とよく1893年にノルマンディーの都市ルーアンに滞在し、それぞれ16点と17点のルーアン大聖堂を描いた作品を制作しています。
ルーアン大聖堂
そのうちの21点は聖堂に向かって右斜め前からファサードを捉えたものであり、天候や時間によって変化する光の移り変わりを描き出しました。
33点に及ぶ連作は、薄青の朝靄のなかにぼんやりと浮かんだものや、白昼の光に照らされたものなど、ヴァリエーションに富み、無機質な石の表面が太陽の光や霧のなかで輝きながら表情を変えてゆく様子を連作のなかに捉えています。
クロード・モネ「ルーアン大聖堂」1892年
午後6時ごろに制作したものとされる「ルーアン大聖堂」は、夕陽に照らされた薄紅色の半身と、下部の灰色の影を対比させる色彩の効果が、まさに移ろいの過程を感じさせます。
露出過度の写真のように白んだ建築の表面には、ファサードの装飾の青い影が浮かび、凹凸に満ちた質感が画面に広がっています。
ファサードは奥行きを閉ざすようにクローズアップされて描かれていて、尖塔をはじめとする聖堂の大部分が画面から切り取られ、その全体を捉えることはできません。
しかしまさにこのことが、石壁の垂直方向へと伸びる線と、表面に施された装飾の質感を際立たせ、ゴシックの聖堂が持つ荘厳さを強めているのです。
展覧会には、この他にもモネや他の印象派の名品が数多く出品されており、見ごたえのある展示となっております。モネや印象派のお好きな方でしたら、きっとご満足いただけることと思います。
モネ、風景を見る眼
-19世紀フランス風景画の革新
国立西洋美術館
2014年3月9日(日)まで開催中





