雑話171「クールベの”石割り”」
先週、ロシアの写実主義の画家レーピンをご紹介しましたが、写実主義を代表する画家といえば、フランスのクールベでしょう。
ギュスターヴ・クールベ
ギュスターヴ・クールベが活躍したのは19世紀中頃で、印象派の画家たちの少し先輩になります。
さて、「写実」とはいうものの、クールベをはじめとする写実主義の画家たちは、単に目に見える現実の現象を絵具で再現することだけを目的としたわけではありません。
彼らは、19世紀に生まれた民主主義や社会主義といった、人間の平等を志向する価値観に促されて、対象の別なく無名の人々や名もなき自然を積極的に描こうとしたのです。
そんなクールベの作品の中でも、彼の「石割り」は最も写実主義的な主題を描いた絵画の一つでしょう。
ギュスターヴ・クールベ「石割り(ドゥー県)」1849-50年
ここに描かれているのは、路盤や建築物をつくるために石を小石に砕いている2人の労働者です。小石はコンクリートの初期形態において、原料として使われていました。
この作品全体からは、重々しい過酷さが伝わってきます。
右側の年長者のチョッキは裂けて大きな穴が開き、ズボンはつぎ当てだらけです。ヒビの入った木靴のなかには、すり切れた青い靴下を通して踵が見えます。
「石割り」(右側部分)
若い男の薄汚れたシャツは、破れて腕と脇腹をさらしています。また、彼の持つ籠はびくともしないように見えます。
「石割り」(左側部分)
この絵の持つ重苦しい雰囲気は、みすぼらしい格好のせいだけではありません。この2人の労働者には、生命力が感じられないのです。彼らは感情も見せず、単調な繰り返しの労働をロボットのように遂行しているだけです。
他の写実主義とよばれた画家たちも労働者を描きましたが、それらの作品には労働に対する道徳性や田舎の生活の美徳といったものが描かれていました。
ジャン=フランソワ・ミレー「仕事に出かける」1851年頃
例えば、フランソワ・ミレーの「仕事に出かける」という作品の構図は、マザッチョの「楽園追放」を下敷きとして描かれています。
マザッチョ「楽園追放」(部分)1426-27年
ミレーは、フランスの農民の労働をアダムとエヴァが土地を耕すよう有罪宣告を受けたことに暗になぞらえることによって、自分の描く人物がはるか以前に決定された宿命を演じていることを示唆しています。
己の運命を受け入れて堂々としている彼らの態度は、他の者たちの模範として役立っています。
しかし、クールベの「石割り」には、こうした前近代社会に由来する保守的な道徳性はありません。というのも、この絵が描かれた当時では、近代化によって農村生活が変わり、その安定性は脅かされていたからです。
「石割り」のような日雇い労働は、農場から立ち退かされた労働者たちが請け負っていて、農場はもはや彼らを土地から支えてくれなかったのです。
クールベは、近代化によって追い詰められた労働者の過酷な現実を、過去の伝統的な脚色を施すことなく、まさに「写実的」に描いたのです。
「石割り」は、それを見た公衆に憤激すれすれの反応を引き起した一方、左翼的な考えを持つ人々の共感を得ました。
こうしてクールベは自らの存在感を高め、その名を挙げていったのでした。