雑話170「レーピン展」
現在、姫路市立美術館で開催中の「レーピン展」に行ってきました。
美術館正面入口
※修理工事中の姫路城が見えます
イリヤ・レーピンは日本ではあまりなじみがありませんが、19世紀のロシア絵画を代表する巨匠で、迫力のある写実主義の作品で有名です。
さて、最初にご紹介するのは、この展覧会のポスターにもなっている「皇女ソフィア」です。
それにしてもこのお姫様、何という迫力なのでしょう!
イリヤ・レーピン「皇女ソフィア」1879年
※高さも2m以上あり、迫力満点です
骨ばった顔立ちに、広い肩幅はただでさえ男性的なのに、太い腕を組み、仁王立ちの彼女は、物凄い形相でこちらを睨みつけています。家来が何か失敗でもしたのでしょうか?
実は彼女、修道院に幽閉されているのです。幼い王である弟の摂政だったソフィアは、異母弟のピョートル1世を支持する勢力に実権を奪われてしまいました。
この絵は、幽閉されたソフィアを擁して暴動を起こした銃兵隊が、鎮圧され厳しく処罰されてしまった時のソフィアの様子を描いています。
「皇女ソフィア」の窓の部分
なんと、画面右のソフィアの僧房の窓にぼんやりと見えているのは、処刑され吊るされた反乱者の遺体です。
よほど悔しかったのか、ソフィアの目は真っ赤に充血し、涙さえ浮かべています。
ソフィアのアップ
また、彼女の背後には召使であろう子供が息を殺して潜んでいるかのように、おびえた表情で彼女の様子をうかがっています。
ソフィアの背後の子ども
レーピンの描く人物の豊かな表情は、彼らの感情まで観るものに伝わってくるようです。
表情の描写という点では、次の作品も今展で最も優れているものの一つでしょう。
これは「トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック」という絵画の習作です。
イリヤ・レーピン「トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック」習作1880年
その主題は、ザポロージャのコサックについての歴史的な伝説に基づいています。
伝説では、ザポロージャのシーチを治めるコサックが、降伏してトルコの臣民になるようにというトルコのスルタン、メフメト4世からの勧告に対して、極めて辛辣な嘲笑をたっぷりこめた不敵な手紙で答えたとされています。
ここでは、明るく色彩豊かなザポロージャのコサック像が力強いエネルギッシュな筆致で造形され、彼らの朗らかさ、勇気、豪胆が見事に伝えられています。
「トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック」の部分
レーピンはこの習作を高く評価していて、”その一体感、迫力、表現力において、いまだにその完成作品に引けを取りません”と言っています。
若いころ、パリに留学したレーピンは、当時の最先端の美術であるマネや印象派に衝撃を受けました。その影響はロシア帰国後の彼の作品にも見られます。
「あぜ道にて-畝を歩くヴェーラ・レーピナと子供たち」は、厳しい写実主義で有名な彼の絵とは思えないほど、のどかで明るく、モネの同様の風景画を思い起こさせます。
イリヤ・レーピン「あぜ道にて-畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち」1879年
この絵の軽やかさと薄塗りであることが空気の透明感を見事に伝え、描かれた人々が浸り、画家自身も楽しんでいる田園の牧歌的な暮らしという印象を作り出しています。
豊かな表情を見事に表現したレーピンにとっては、肖像画はお手の物だったことでしょう。
イリヤ・レーピン「作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像」1881年
彼の手による素晴らしい肖像画は数多く残されており、レーピンの肖像画は当時から人気だったことがわかります。
イリヤ・レーピン「ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像」1887年
特に、レーピンは深い内面描写で有名なレンブラントの影響を受けており、今展でもモデルの内面まで描写したような肖像画の名品がいくつも展示されています。
イリヤ・レーピン「工兵将校アンドレイ・デーリヴィクの肖像」1882年
今回の展覧会が日本で初めてとなる本格的なレーピン展とのこと。印象派とは一味もふた味も違うレーピンの写実絵画を是非お楽しみください。
なお、この後は、神奈川県立近代美術館葉山に巡回する予定です。










