雑話166「ウォーホル④、救いを求めて」
1965年に絵画制作からの引退を宣言し、映画制作などを始めたウォーホルでしたが、1968年6月に映画の台本を売りにきた如何わしい女性に銃で撃たれてしまいます。
ウォーホル銃撃を伝える新聞記事
それは、絵の売れ行きが悪いために、その前年から始めた注文肖像画のビジネスが、ようやく軌道に乗ってきたころでした。
2発の銃弾が4つの臓器を貫通する大怪我でしたが、6時間の大手術の末、何とか死を免れました。一時は死を宣告された彼は九死に一生を得ましたが、その後の長い療養期間の間はほとんど作品を制作することはできませんでした。
ところが、ウォーホルが療養している間に、彼の評価が上がる出来事が2つもありました。
彼の作品がオークションで記録的に高く売れ、さらに彼の回顧展も各地で大成功を収めました。お蔭で作品の価格も高騰し、彼の側近はこの機に乗じて、もう一度絵画に専念するように励ましました。
そんな復帰を記念するために、20世紀の最も重要な人物の肖像を描くことになり、ウォーホルは中国共産党のリーダーである毛沢東を選びました。
アンディ・ウォーホル「毛沢東」1972年
1972年の春、ウォーホルは2000以上の毛沢東の肖像を大量生産しました。公認の写真をベースに作られた肖像画には、ファーストフードのドリンクのように大、中、小のサイズがありました。さらに、他の西洋の消費財と同様に、個々人の趣味に合うように、様々な色のものが用意されていました。
つまり、ウォーホルは当時の資本主義の最も辛辣な敵を、大衆消費市場に高価で売るために安価で作られた、典型的な資本主義の製品に変えたのです。
毛沢東シリーズが年間数百万ドルを稼ぎ出す事業になると、注文肖像画のビジネスまで再び盛り上がってきました。1000人を超えるウォーホルの顧客は主にニューヨークのクラブやディスコでパーティーをしていた美術業界や、芸能界、ヨーロッパの上流階級、ファッション業界の人間でした。
アンディ・ウォーホル「キャロリーナ・ヘレラ」1979年
※NYで活躍したファッションデザイナー
ただ、これらの肖像画が、批評家たちから相当な悪評を買った上に、ウォーホル自身も1976年以降重要な作品を制作していなかったため、70年代後半の彼の美術界での地位は少々下がったように思われました。
しかし、ウォーホルは70年代以降も、このような金儲けのため作品ばかりを描いていたわけではありませんでした。彼やアシスタントたちが”真剣なアート”と呼んでいた作品の多くは「死」を題材にしたものでした。
例えば、1975-6年には、彼がパリの蚤の市で購入した頭蓋骨を元にシルクスクリーンのシリーズが作られました。
頭蓋骨を頭に載せるウォーホル
装飾的に仕上げて、このテーマを和らげようとしたにもかかわらず、作品からは死の現実は力強く伝わってきました。
ニヤニヤと上機嫌の笑みを浮かべた頭蓋骨は、生気があるように見え、死のしわざの記録というよりは、死そのものの肖像に見えました。
アンディ・ウォーホル「頭蓋骨」1976年
また、頭蓋骨は西洋美術の伝統的な静物画で、人間の死すべき運命を暗示し、人生の空しさの寓意を表すヴァニタスを代表するものであり、最も強烈な死の象徴でもありました。
こうした死の主題は、最後には宗教的な作品となってウォーホルのキャリアの最後まで続きました。
晩年の宗教的な作品の頂点は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を元にして作ったシリーズです。ウォーホルが亡くなる最後の数ヶ月間、彼はこの主題に没頭し、100以上の作品を制作しました。
なかでも、安物の陶磁器の複製などの様々な源泉を元に、自らの手で制作した作品群は、ウォーホル自身のためのものでした。
アンディ・ウォーホル「最後の晩餐(Dove)」1986年
ウォーホルは最後の晩餐のイメージに、GEのロゴやDOVE石鹸のラベルなど、スーパーマーケットで目にするような、大衆文化の要素を加えました。
彼は、キリストの犠牲によって世界にもたらされた、平和と光のための新たな独自のシンボルを探していたようでした。
「最後の晩餐(Dove)」のDove石鹸のラベルとキリスト
さらに注目すべきは、ウォーホルがダ・ヴィンチのキリストの姿を強調して描いていることです。
このシリーズの油彩や素描の中で、その姿を繰り返し描くことで、ウォーホルはしばしば見過ごされてきたダ・ヴィンチの作品のあるものに注意を惹こうとしています。
アンディ・ウォーホル「最後の晩餐」1985年
それは、キリストが自分の弟子の一人が自分を裏切るであろうことを告知する時の彼の表情です。キリストは怒りや冷静というよりも、悲しそうに諦めているような、ほとんど許してさえいるように見えます。
「最後の晩餐」のキリスト
自分の同性愛について、罪悪感にさいなまれ続けてきたウォーホルにとって、そんなキリストの表情が好ましく思えたのは当然のことかもしれませんね。








