雑話147「イギリスの美しき前衛・・・ラファエロ前派」 | 絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

雑話147「イギリスの美しき前衛・・・ラファエロ前派」

この絵を初めてご覧になった方のほとんどは、画中の光景に戸惑われたことでしょう。


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ジョン・エヴァレット・ミレー「オフィーリア」1852年

着衣の女性が仰向けの状態で、静かな川の流れのなかを漂っているのですから。


しかし、悲惨なはずの女性の水死体は、どこか神秘的であるばかりか、辺りの草木の瑞々しい描写と相まって美しさまで感じさせます。


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「オフィーリア」(部分)

タイトルのオフィーリアとはシェイクスピアの戯曲「ハムレット」の登場人物です。


デンマークの王子だったハムレットは、父である王を殺した伯父に復讐しようとして、誤って恋人オフィーリアの父である宰相のボローニアスを殺してしまいます。オフィーリアは悲しみのあまり気が狂った挙句、溺死してしまうのです。


ここでは溺死した姿のオフィーリアが描かれています。


作者はジョン・エヴァレット・ミレーというラファエロ前派の画家です。ラファエロ前派と聞くと、ラファエロの活躍したルネサンス期よりも以前の時代の作家のように聞こえますが、彼らは19世紀後半に活躍したイギリスの作家たちです。


ラファエロ前派の作家たちにとって、当時のイギリス美術は、目の前の対象物を見ようともせず、過去の模倣を繰り返すだけの形式主義に陥っていました。


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ラファエロ「キリストの変容」1517年

※1840年代、ロンドンのナショナルギャラリーにこの絵の複製が展示され続けていました

ラファエロ前派のハントは「簡潔な真実に対する大げさな侮辱、使徒たちの仰々しいポーズ、救世主の精神性の欠如は糾弾に値する」と批難しました

そこで、彼らは理想とされたラファエロの美術が模倣されるようになる前の、中世の美術を誠実かつ自由なモデルとし、素朴な目で自然を見ることで、停滞した現状を打破しようとしたのです。


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ウィリアム・ホルマン・ハント「わがイギリスの海岸」1852年

そのために彼らは自然をありのままに、そして誠実に表現しようとして、風景を描く際には、印象派のように屋外で制作し、太陽光で見えるものすべてを細部まで描き分けるようにしました。


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「わがイギリスの海岸」(部分)

また、ラファエロ前派の画家たちは、その自然主義の立場から、宗教や文学が複雑に暗示しあっている独特の象徴体系を築き上げようとしました。


彼らは眼に見える自然の世界の奥に、眼に見えない魂の神秘、情熱の世界、さらには自然を越えた聖なるものの存在も見ていたのです。


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ダンテ・ガブリエル・ロセッティ「プロセルピナ」1873-77年

※ロセッティのミューズであったジェイン・モリスの美しさを文学、神話に結びつけた一連の作品のひとつ

ラファエロ前派は、当時のイギリスの詩や絵画が、現実を騎士道とロマンの世界に置き換えて、近代世界から逃れようとしていた流れに乗って、イギリス芸術の主流派になりました。


しかし、行き過ぎた中世への熱狂が、自然の表現を損ないかねないようになり、彼らはあまりに高じてきた中世への傾倒を超越せずには、もはや革新的な芸術運動として生き残れなくなってきました。


そこで、ラファエロ前派の第2世代に当たるバーン=ジョーンズは対象を古代、中世から古代神話にまで広げ、そこに正確な表現と郷愁にも似た感動を取り戻すことに成功します。


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エドワード・ジョーン=バーンズ「海蛇を退治するペルセウス」1884-85年

※ペルセウスはギリシャ神話に登場する半神の英雄

ここでは、生け贄にされていたアンドロメダを救うシーンを描いています

新しい感性で表現された彼の作品は、イギリス国内で認知されただけでなく、国際的にも知られるようになりました。


しかし、彼の後に続いた作家たちの絵には、伝説や神話への深い理解がなく、創造性に欠け、単なる様式や装飾技法の練習のようになってしまいました。


こうして、1898年のバーン=ジョーンズの死とともに、50年近く続いた芸術運動の火が消えてしまったのでした。


ちなみに、このバーン=ジョーンズの展覧会が、兵庫県立美術館で10月14日まで開催中です。来週はその報告をさせていただきますので、お楽しみに。