雑話134「フランシス・ベイコン・・・溶けだした肉体」
フランシス・ベイコンはピカソと並ぶ、20世紀美術界最大の巨匠の一人、といわれるくらい欧米では有名な画家です。
フランシス・ベイコン、1952年
それに比べて、日本での知名度は驚くほど低いのですが、彼の作品は一目見るだけで忘れられないくらい衝撃的です。
ベイコンのモチーフのほとんどは人物ですが、彼の人物はみな肉体の一部が溶けたように描かれており、その溶けた肉体は流れ出したり、互いに交じり合ったりしています。
フランシス・ベイコン「磔刑のための3つの習作」の中央パネル1962年
時にはそれが何であるかが識別できないほどで、一片の肉塊のようにしか見えません。
一見グロテスク趣味にしかみえない画像は、外見的な写実にとらわれず、純粋に内面的かつ思索的なリアリティを追求した結果です。
フランシス・ベイコン「ベラスケス作『法王インノケティウス10世の肖像』をもとにした習作」1953年
ベイコンにとっての絵画とは、対象の不確かさと、画家の主観的な衝動が生み出すイメージとの相互作用によって生ずる緊張なのです。
彼によると、写真が発明されたせいで、画家は対象をただ忠実に描いて本物らしく見せるようなことは許されなくなりました。
フランシス・ベイコン「自画像のための習作」1980年
※2012年6月26日のサザビーズにて約452万ポンド(約5億6500万円)で落札
そこで、観客を納得させるためには、芸術作品に画家の生の証しと、見るものにとっての近接感が必要となった、としています。
ベイコンが施す対象の変形は、観客が作品の直接性と実在感とを楽しむことができるように、真の、あるいは虚構すらが持つ、リアリティを伝えるためのものなのです。
フランシス・ベイコン「自転車に乗っているジョージ・ダイアーの肖像」1966年
そのせいで、時として原型とは似ても似つかぬものになっていても、リアリティの追及の過程で、彼の目にはそのように映ったのでしょう。
「もっとも深い表現力を備えたリアリズムとは、主観的なものだ」とするベイコンの作品には、暴力や同性愛などスキャンダラスなモチーフが数多く描かれていますが、その画像の持つ生命力は見るものを圧倒します。
フランシス・ベイコン「絵画」1946年
それは、「生を完全燃焼したいという欲望は、死と隣りあわせに生きることで性急さを増す」というベイコンの考えを表したものです。
圧倒的な生命力と、死の匂いを漂わせる肉と血が混在する画面は、生の輝きに溢れてはいても、どこかあいまいさが残る実際の人間以上に、生命につきまとう束の間の儚さを表現しています。
我々はベイコンの作品を前にして、自らがいかに怪奇で不条理な存在であり、生命の輝かしさの裏にぞっとするような暗部を秘めた存在にすぎないことを知るのです。





