雑話100「ジヴェルニーのモネの家①・・・新たな感覚」 | 絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

雑話100「ジヴェルニーのモネの家①・・・新たな感覚」

フランスの北西にあるジヴェルニーのモネの家は、ヴェルサイユに匹敵するほどのフランスで最も人気のある観光地のひとつです。


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ジヴェルニーのモネの家

有名な「睡蓮」が描かれた蓮池はもちろんのこと、庭に咲き乱れる美しい花々が訪れた人々を魅了しますが、実は現在の姿は写真やメモ、庭の様子を描写した文章、その最盛期のことを覚えている人々の記憶にもとづいて再構成されたものなのです。


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モネの家の日本の橋

モネがジヴェルニーに後半生を過ごすことになる家を見つけたのは、1883年の春のことでした。当時のジヴェルニーは小さな村でしたが、比較的豊かで、鉄道や道路、船の便がよく、周囲を肥沃な田園地帯で囲まれていました。


辺りには峡谷が東西に広がっており、モネの気に入るような柔らかい光が常に差し込んでいましたが、モネが実際にジヴェルニーを描き始めたのは翌々年の1885年になってからでした。


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エトルタの断崖

※モネが制作旅行先に選んだ観光地のひとつ

彼以外にもクールベやブーダンなど多くの画家が描きました

海中から突き出ている部分は「針」と呼ばれています

1880年代はモネの生涯のなかで彼がもっとも精力的に制作旅行をした時期でした。彼は大西洋、地中海、イギリス海峡におもむいて筆をとり、フランス国内を縦横無尽に駆け回るいっぽう、ジヴェルニーの自宅近くでも制作を続けました。


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クロード・モネ「針とポルト・ダヴァル」1885年

制作旅行で選んだ風景は、当時、観光スポットとして持てはやされた場所で、風光明媚で変化に富み、海と空の広大さを表現できる遠景を描けるところでした。


そんな観光絵画の壮麗さと典型的主題に取り組んでいたモネは、大きさも感じも異なる自分の家の周辺地域に適応するのに手間取ったようです。ジヴェルニーの風景を気に入っていたにもかかわらず、モネがジヴェルニーの細部のもつ独特の魅力を知るには、注意深い研究と探索を必要としました。


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クロード・モネ「ポプラの木の下の陽光の効果」1887年

モネのジヴェルニーで見つけた主題は、一般的にはなじみ深い田舎のモティーフでしたが、モネの発揮した集中力は平凡な田園風景を、歴史画の英雄的な偉大な主題にまけないほどの記録的価値の高いものにしたのです。


これは一日の異なる時間によって光が変化するという、変わりやすく偶発的な側面に重要性を見出す感覚を養ったモネだけの絵画でした。


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クロード・モネ「4本の木」1891年

こうして養われた感覚がのちの積み藁やポプラの連作につながり、最後には睡蓮の抽象的な絵画へと発展していったのです。


そう考えると、終の棲家となったジヴェルニーの家に移らなければ、晩年のモネの達した境地にはたどり着けなかったかもしれませんね。