雑話97「ルドン・・・美しくも妖しい世界」
色鮮やかな色調で描かれた神話の世界や美しく妖しい光を放つ花で知られるオディロン・ルドンは、先々週ご紹介しましたモローとイメージが重なるかもしれません。
オディロン・ルドン「キュクロープス」1895~1900年頃
しかし、神話の世界を通して人間の普遍的なテーマを表現したモローと違い、ルドンが描いたのはあくまでも自分の内奥にある世界でした。
ルドンの兄を溺愛したルドンの母は、ルドンが生まれるとすぐに母方の伯父の家に里子に出してしまいます。
母親に見捨てられたルドンは、暗いところを好み、部屋のすみのカーテンの陰に隠れて一人遊びをするような子供で、両親と共に暮らすようになっても、兄を偏愛する母親に対する屈折して複雑な感情は消えることはありませんでした。
オディロン・ルドン「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」1882年
そんなルドンは現実から目を背け、不気味で幻想的な自身の夢の世界に安住の地を見つけたのでした。
しかし、ルドンの絵の中に表現される孤独の不安や死の恐怖は万人に共通するものです。
彼の絵の不可思議な怪物たちは、私たちの心の片すみにもじっと息を殺してひそんでおり、だからこそ彼の作品が私たちの心に奇妙な感銘を与えるのでしょう。
オディロン・ルドン「笑う蜘蛛」1881年
初期のルドンは、魔術的な白と黒のみの作品によって高く評価されましたが、画業の後半から、まばゆいばかりの鮮やかな色彩の光束が私たちの目を射るようになります。
自らの内側の世界に閉じこもったルドンは、絵筆を使って限りない想像力を育てていくなかで、固く閉ざしていた心の扉を開き、彼が持っていた色彩感覚を解き放つようになったのです。
オディロン・ルドン「アポロンの馬車と竜」1910年
古代の神話や物語はルドンの心の扉を開く鍵となりました。
ルドンの神話を題材とした作品は、アカデミックな表現方法によって型にはまった寓話に仕立てられていた古代の物語を、うねるような生きた色彩の洪水の中に放り込み、新たな神話となったのです。
オディロン・ルドン「花の中のオフェリア」1905~08年
夢の世界で有名になったルドンは、晩年になると多くの色彩豊かな花や蝶の作品を描きました。
ささやかに、あるいは豪華に束ねられた花々は、微妙な色調の花瓶に生けられて、色彩の空に浮かんでいますが、それらの花々は現実の花の姿を借りながらも、夢幻の世界に咲いているのであり、それゆえに私たちは不安な鼓動を伴う感動を呼び起こします。
オディロン・ルドン「花瓶と花」1916年
やはりルドンは花を描いていても、彼の内面に広がる独自の小宇宙を表現しているのです。それは、幻想の空に踊る蝶たちも同様でしょう。
蝶はヨーロッパや東洋では魂を運ぶもの、この世と彼岸を結ぶものと考えられてきました。ルドンの色鮮やかな幻の空間を飛び回る蝶たちの姿を見ていると、息苦しい、閉じ込められたような感覚にとらわれます。
オディロン・ルドン「霊を宿す蝶」1910~12年
それは彼が常に死を意識していたことの表れなのでしょうか?
実際、ルドンは自分より年下の家族の死を次々にむかえました。死は常になまなましく彼の心に黒い影を落としていたのです。
それに対して、美しく鮮やかな色彩で描かれた蝶の群れは、霊的な存在であり、ルドンの閉ざされた心の中に奥深く広がっている異次元からのメッセージなのです。






