雑話95「モロー・・・象徴主義の先駆者」 | 絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

雑話95「モロー・・・象徴主義の先駆者」

豪華で神秘的な作品で知られるギュスターヴ・モローは、ピュヴィ・ド・シャバンヌやゴーギャンらの19世紀末に活躍した象徴主義の先駆者といわれています。


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ギュスターヴ・モロー「ケンタウルスに運ばれる死せる詩人」1890年頃


一見すると、単なる神話や宗教画にしか見えませんが、そこには当時の社会情勢や人類普遍のテーマが盛り込まれているのです。


モローが画壇にデビューした当時、美術界はそれまで主流だったアカデミックな流派の勢力に陰りが見えはじめ、彼らの好んで描いた歴史画や宗教画が廃れていくように思われていました。


彼らに代わって、クールベらの写実主義が台頭し、その影響を受けたマネのまわりには、やがて印象派と呼ばれるようになる画家たちが集まり始めていました。


しかし、そのような状況の中でも、モローは当初から歴史画の再生を目指し、反写実主義的で精神性を重んじた作品を制作しました。


例えば、初期の作品である「オイディプスとスフィンクス」では、つねに人間をおびやかす人生-(何の保証もなく、明日のこともわからず、危険を意識しながら、ひるんだり恐れたりしない、人生そのもの)のイメージが、男と女(スフィンクス)の対決という形で見事にあらわされています。


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ギュスターヴ・モロー「オイディプスとスフィンクス」1864年


注)オイディプスという若者が放浪の旅の途中、テーバイという国の住民を悩ませているスフィンクスのいるビキオン山にやってきます。スフィンクスは捕えた旅人に謎を出し、解けなければ食べてしまうのですが、オイディプスが謎を解くと、スフィンクスは崖から身を投げて死んでしまいます。


その後、モローは有名なサロメの連作を描きます。


サロメはユダヤ王ヘロデの妻ヘロディアの連れ子。キリストの到来を説いたことで捕えられた聖ヨハネをうらむヘロディアは、サロメをヘロデ王の誕生祝いに踊らせ、褒美に聖ヨハネの首をねだらせました。


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ギュスターヴ・モロー「ヘロデ王の前で踊るサロメ」1876年


モローは数年間、聖ヨハネの斬首前、その瞬間、それ以後と、場面を変え、角度を変えながら、サロメのテーマを追い続けました。


斬首前のシーンでは暗がりに浮かぶヘロデの顔を頼りない支配者の顔に描いており、普仏戦争敗北の責任者ナポレオン3世の面影を思い起こさせます。



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「ヘロデ王の前で踊るサロメ」のヘロデ王


実際、サロメを扱ったこれらの作品群は、普仏戦争以後フランスを疲弊させた一連の動乱と当時の退廃的な世相を象徴的に表現したものとみなすことができます。


また、詩人や預言者を人類の最重要人物とみなしていたモローは「出現」の中で、聖ヨハネの首が輝くオーラに包まれているさまを描き、その思想、その言葉が、むごたらしい肉体の死を越えていき続けるべきことを示唆しているのです。


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ギュスターヴ・モロー「出現」1876年


キリスト教やギリシャ神話の知識のないほとんどの日本人にとっては、モローの意図する意味を理解するのは容易ではありませんが、彼の卓越した技術で描き出だれた光輝く神話の世界の美しさは、それだけで観る人に深い感動を呼び起こすことでしょう。