雑話90「エゴン・シーレ・・・スリムな永遠の少年」
クリムト、フンデルトヴァッサーとウィーンを代表する近代作家をご紹介しましたので、今週はもう一人の代表的作家であるエゴン・シーレをご紹介しましょう。
エゴン・シーレ「自画像」1910年
クリムトと活躍した時期が重なるシーレですが、豪華絢爛なクリムトの作品に対して、シーレの作品はあまりにも粗暴です。
シーレの絵の特徴はなんといってもその人体描写でしょう。
特に初期の作品では、男性でも女性でも人物は極端に痩せており、骨張った手足からは関節が飛び出しています。
エゴン・シーレ「両手をあげた男のヌード」1910年
その上、皮膚の色も悪く、中にはまるで火傷をおって焼けただれているような色のものもあります。
しかし、その細身の様式化されたようなシーレのデッサンは、今では多くの人を魅了していますが、当時の第一人者であるクリムトも彼のデッサンには一目置いていました。
この描写スタイルは、シーレが自らの肉体を探求することで、人体の根源的な特徴をつかもうとした結果、確立されたものです。
エゴン・シーレ「座る裸婦」1914年
シーレは肖像画にもこのスタイルを採用しましたが、がらんとしたむき出しの空間に、こわばったモデルたちを冷たく放り出しているように見えます。
こうしたシーレの作品を拒絶する人もおり、肖像画の受け取りを拒否したり、ポーズをとるのをやめてしまった人もいました。
エゴン・シーレ「出版者エドゥアルト・コスマックの肖像」1910年
※画中の人物も、シーレの特徴的な骨ばった両手を太腿の間において、催眠術をかけるときのようなランランとした目でこちらを見ています。
その後、シーレの骨張った人体は結婚した1915年頃から肉付きがよくなってきましたが、肌の色は一層汚れたように描かれ、まるで体中あざやシミで覆われているようです。
※シーレの妻
遺作となった「家族」に登場する人物も薄汚れた感じで描かれていますが、これは非常に解釈の難しい作品です。
エゴン・シーレ「家族」1918年
ここに描かれている3人は、それぞれが孤立したべつべつの人間として存在しています。女性はあきらめたように視線を落とし、男性はあいまいにこちらを見つめ、子どもは布きれにしがみついたまま、おびえたように画面の外を見ています。
とても家族とは思えないほど、孤立して描かれた3人には、もともと「うずくまる男女」という別のタイトルが付けられていました。
図像学的には、聖家族を思わせる構図ですが、その後なぜ「家族」とされたのかは、今でも謎のままです。
デビュー当時、分離派の洗練された作品に親しんでいたウィーンの人々にとって、シーレの作品はかなり衝撃的で、受け入れがたいものでした。
その後、少しずつ認められはじめたシーレは、1918年に招待されたウィーン分離派の展覧会で作品が莫大な金額で売れ、大成功を収めることとなったのです。
この年はクリムトが亡くなった年でもありました。
シーレはこの成功のお蔭で、クリムト亡き後のオーストリアの画家の第1人者の地位を得たのです。
エゴン・シーレ「ホオズキのある自画像」1912年
ところが、その年の10月28日、妊娠中の妻エディットが当時猛威を振るっていたスペイン風邪で亡くなると、彼自身もその3日後の10月31日に同じ病であっけなく亡くなってしまったのです。
たった28歳の若さで亡くなったシーレは、まさに成功の果実を手にしかけて、人生に突然の幕を下ろしてしまったわけです。
しかし、自分のことを”永遠の子供”と称していたシーレだけに、「家族」を持つことに戸惑いをおぼえ、そこから逃亡してしまったのかもしれませんね。




