雑話86「フェルメールからのラブレター」展
現在、京都市美術館で開催中の「フェルメールからのラブレター」展に行ってきました。
京都市美術館正面
この展覧会の最大の目玉は、2010年から2011年にかけての修復後、本国に先駆けて公開することとなった「手紙を読む青衣の女」を筆頭に、同じテーマの作品を加えた計3点のフェルメールの作品です。
フェルメールは作品数が少ないので有名で、22年の画歴で制作した作品数は行方不明のものを含めても45~60点程度と推測されており、さらに現存する真作は真贋がはっきりしないものを含めても33~36点とされています。
ここでは希少なフェルメールの作品3点と共に、同時代に同じオランダで活躍した画家たちの作品を多数展示されており、フェルメールが活動していた時期のオランダの美術界の動向がわかるようになっています。
さて、展覧会場に入って驚いたのは、多くの作品がフェルメールと同じような作風だということです。
クウィレイン・ファン・ブレーケレンカム「感傷的な会話」1661-62年
※左にある窓から照らされた室内風景はとってもフェルメール風?
暗い背景の室内では、窓からの光で浮き上がった人物画が写真のように細かく正確に描かれており、そのうちのいくつかはフェルメールの作品だといわれてもわからないくらいです。
年代を確認しても、フェルメールとほぼ同時期で、誰かがが他の誰かの真似をしたというよりは、この時期のオランダではこのような室内画が主流だったのでしょう。
それでは、なぜ同じような作風の作品が多く描かれていた中で、フェルメールだけが国際的な人気を博するようになったのでしょう?
そんな疑問を抱きながら、展覧会のフィナーレを飾るべく、最後の部屋でまつフェルメールの部屋まで行くのがこの企画の意図するところなのでしょう。
フェルメールの部屋に着くと最初に迎えてくれるのが、金色のコートを着た「手紙を書く女」です。
ヨハネス・フェルメール「手紙を書く女」1665年頃
手紙を書きかけてこちらを見ている女性は、他の作家同様暗がりから浮かび上がるように描かれていますが、今まで見てきた絵よりもずっと強い光で表現されており、まるで女性自身が輝いているかのようです。
実は、フェルメールを他の同時代の作家から分ける特徴の一つが、彼の絵の顕著な明るさでした。
※上の絵と比べれば、背景の暗さが際立ちます
フェルメールは当時から「太陽の光の描写にこだわった」とされ、また「フェルメールの光にはわざとらしいところがなく、彼の色彩の調和は光におけるこの精度の高さに負うところが大きい」とされていたのです。
次に、この展覧会の最大の目玉作品である「手紙を読む青衣の女」が主役らしく壁の真ん中に堂々と展示されています。
ヨハネス・フェルメール「手紙を読む青衣の女」1663-64年頃
この絵に描かれているのは、部屋の片隅で手紙を読んでいる若い女性一人なのですが、その光景は静けさや穏やかさに満ち、ただ彼女が持っている紙の擦れる音だけが響いているかのようです。
この作品には、同時代の画家たちが多用した、感情表現の効果を狙って、大げさな身振りや脇役の人物たち、象徴的な暗示や事物の描写といった要素はほとんど見られません。
※男は前に屈み、女は後ろに仰け反っていることで、彼らの感情や心理の綾が張り詰めていることを表しています
フェルメールはそんな逸話的な描写を減らし、もっぱら光や色彩、遠近法を駆使してイメージをその本質にまで純化したのです。
最後の作品である「手紙を書く女と召使」は3点の中でもっとも後期のもので、もっとも透明感のある作品です。
ヨハネス・フェルメール「手紙を書く女と召使」1670年頃
光と影のコントラストがはっきり描かれており、まさに窓から落ちる光は「奇跡のような自然の効果を挙げて」います。
登場する2人の女性は、いずれも自分の世界にこもっていて、手紙を書いている女性の羽根ペンが紙をこする音以外、部屋の中にはまったく音がありません。
フェルメールはここでも、これ見よがしの物語を描き込まなかった代わりに、この場面に時間の存在しない瞑想的な性格を与えたのです。
この企画を通して、あまり目にする機会のないフェルメールと同時代の作家の作品と比べることができ、あらためてフェルメールの魅力を実感することができました。
ブログをご覧の皆様も、この機会に印象派とは違うフェルメールの静謐な世界をご堪能ください。
「フェルメールからのラブレター展」
京都展
2011年6月25日(土)~10月16日(日)
宮城展
2011年10月27日(木)~12月12日(月)
東京展
2011年12月23日(金・祝)~2012年3月14日(水)


