雑話81「フォーヴィスムの創始者・・・アンドレ・ドラン」
アンドレ・ドランは原色を使った激しい色遣いで知られるフォービスムの作家として有名です。
※典型的なフォーヴィスム様式の作品
フォーヴィスムはマティスをリーダーとして、ヴラマンク、そしてドランの3人によって始められましたが、その様式の創始者はリーダーのマティスではなく、ドランのようです。
1905年の秋に開催されたサロン・ドートンヌに出品された彼らの作品は、歴史上初めてチューブから出たままの純粋な色彩を用いたもので、その色遣いのあまりの激しさに野獣(フォーヴ)と呼ばれました。
※1905年のサロン・ドートンヌに出品された内の1点
しかし、この年の春に開かれたアンデパンダン展に出品されたドランの作品のいくつかはすでにフォーヴの様式を備えていました。
※1905年のアンデパンダン展に出展されたフォーヴ様式の1点
ナビ派流の大きな色面、新印象派風の原色に近い色彩、印象派的なテーマとその処理。
こうした混合様式によって画面に生み出された緊張感はドランがフォーヴの様式を創始したことを示していました。
その後、マティスも同年の夏にドランとコリウールで過ごしたときにこの様式に到達しています。
衝撃的なデビューを飾ったフォーヴィスム絵画でしたが、その運動は短命に終わります。
フォーヴィスムの誕生に前後してセザンヌの回顧展が何度か開かれ、セザンヌ芸術は前衛的な画家の間に複雑で深刻に影響を及ぼし始めました。
アンドレ・ドラン「女性水浴図」1907年
1907年のアンデパンダン展に出品されたドランの「女性水浴図」には明らかにセザンヌの影響が見られます。
その年の夏にカシスですごした際に描かれた「カシス風景」にもセザンヌの影響が色濃く現れ、その単純化された形態と構成的な構図はすぐにブラックに感化を与えました。
アンドレ・ドラン「カシス風景」1907年
こうしたドランのセザンヌ芸術の探究は1913年ごろまで続きますが、その後のドランの芸術は伝統主義的なものに回帰していきます。
ドランの伝統主義は様々な時代の美術の要素を取り入れた折衷主義的な芸術でした。
アンドレ・ドラン「アルルカンとピエロ」1926年
※ドランの伝統主義的な作品の中ではおそらくもっとも有名な作品
例えば、そのモティーフにはヴェネツィア派、プーサン、エル・グレコなどの作品に見られるものがあるかと思えば、ダヴィッドやルノワール、クールベなどの影響も見られます。
こうした折衷主義の絵画の評価は分かれるところですが、美術市場ではドランのフォーヴ期の作品とこの伝統主義の作品の評価は極端に変わってしまいます。
実はヴラマンクの作品にも同じことが言えるのですが、ドランの場合はその格差が一層大きく、ドランの茶色がかった伝統主義的な作品は現在ではあまり人気がありません。



