雑話46「ルノワールの女たち・・・価値観は変わって」 | 絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

雑話46「ルノワールの女たち・・・価値観は変わって」

開催される度に多くの入場者で賑わう印象派の展覧会で、人々はモネの風景やルノワールの女性像などの名作を前に感嘆の声をあげます。


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今年開かれたオルセー美術館展の様子


しかし、140年ほど前に印象派の絵画を初めて見た人の反応はまったく違ったものでした。


私たちが印象派の絵を見てそれを美しいなどと思えるのは、印象派の表現法を理解できるように、私達の価値観や視点が教育された結果なのです。


当時活躍したフランスの作家、マルセル・プルーストは自らの著作「失われた時を求めて」の中で、印象派絵画が人々の視点に対して如何に影響を与えたかについてこんな風に書いています。


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マルセル・プルースト


”そんな風になんとか認められるようになろうとして、独創的な画家、独創的な芸術家は、眼医者のようにふるまうのだ。


(中略)


治療が終わると、医者たちは私たちに言う、「さあ、見てごらんなさい」と。


するとたちまち世界は、以前の世界とはまったく違ったものとして、だがきわめて明快な世界として私たちの前に出現する。


女たちは、以前の彼女たちと違った女になって通りを過ぎてゆく。


なぜならそれはルノワールの女たちだからだ。


つまり以前は私たちが女と認めるのを拒んできた、あのルノワールの女たちだからである。”


プルーストが言うように、印象派のテクニックが認められるようになるまでは、彼らの作品はそこに何が描かれているかすら理解されないほどだったのです。


例えば、第2回印象派展に出品されたルノワールの「習作(陽の光の中の裸婦)」について、保守的な新聞「ル・フィガロ」の批評家ヴォルフは下記のように酷評しました。


”死体の完全な腐敗状態を示す、紫色がかった緑色の斑点を伴う分解中の肉の塊”


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オーギュスト・ルノワール「習作(陽の光の中の裸婦)」1875-76年頃


木漏れ日を受けた少女の裸の影の部分は”紫色がかった緑色の斑点”で表現されていますが、これを影ではなく少女自身の肌の色だとすれば、”死体の完全な腐敗状態を示す、分解中の肉”のように見えるのでしょう。


印象派の試みである”光と影の効果”の表現を戸外に置かれた人体に適用することは、スタジオで描かれた人物しか見たことのない人々にとって、戸外で描かれた風景画よりもいっそう理解されにくかったと思われます。


このように新しい芸術が理解されるには、それを理解できる新しい価値観を共有しなければなりません、またはプルーストの言葉を借りれば”眼科医の治療を受けなければなりません”が、それは現代でも同じです。


当時の前衛美術である印象派よりも、数段理解困難な作品が多いと思われる現代美術ですが、そんな中からでも人々の価値観が変われば、誰にでも理解できる作品となるものが出てくるのでしょうか?