雑話43「印象派の兄貴分・・・エドゥアール・マネ」 | 絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

雑話43「印象派の兄貴分・・・エドゥアール・マネ」

印象派を語るとき、エドゥアール・マネは欠かせない存在です。


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エドゥアール・マネの肖像


マネは、当時主流だった伝統的な絵画に対して様々な疑問を呈することで、絵画の新しいあり方を模索していました。


そのやり方は常に衝撃的でスキャンダラスでしたが、結果的に印象派の画家たちはそんなマネの冒険の中に自らの進むべき方向を見出すことになるのです。


マネは、印象派と同様に、当時の現代社会の様子を描きましたが、印象派の多くは、対象をそのまま単純に捉えているのに対して、マネのアプローチは常に絵画の伝統とかかわり合い、それを変容させようとするものでした。


「草上の昼食」と「オランピア」は大騒動を引き起こし、マネの名は不動のものになりました。


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エドゥアール・マネ「オランピア」1863年


「オランピア」では、現代生活から取り入れた大胆で挑発的なテーマを、伝統的な表現の形式に当てはめています。


この作品は、ティツィアーノの有名な作品「ウルビーノのヴィーナス」を焼きなおしたものです。


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ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」1538年


ティツィアーノの作品はウルビーノ公の愛人を描いたものですが、ここでは愛人を女神に見立てて暖かく従順で古代の彫刻を連想させるような姿に仕上げているのに対して、マネは冷徹で傲慢な職業的売春婦として描いています。


また、女性の描き方も官能的な表現を用いる代わりに、乾いた処理や厚塗りの筆致を用いており、丸みや奥行きよりも画面の表面に注意をひきつけることで、現実の幻影を損ない、ひいては性的な魅惑を損なっています。


当時の批評家の多くはその主題の低級な道徳性と制作における不器用さに大変な嫌悪感を抱いて攻撃しています。


また、マネの筆遣いも、印象派と同じく、はっきりと芸術活動を誇示していて、時にはその主題の存在すら翳らせてしまうものでした。


しかし、印象派の狙いはあくまでも表現上の視覚的効果であったのに対して、マネの描法は芸術作品が人工物であることをはっきりと示し、芸術作品を体験する際の条件として自然から距離をとる事が大切であると確認するためのものでした。


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エドゥアール・マネ「笛吹きの少年」1866年


例えば、「笛吹きの少年」では、少年の穿いているズボンの左側が白いスパッツと重なり合っているところで、本当ならスパッツはズボンの下に入らねばならないのに、スパッツを表している白い絵具が赤の上に置かれています。


また、脚の後ろにはその斜めの方向を引き伸ばした筆の跡があり、この形は影のように見えますが、実際にはそこに影を投げかけるようなものはなく、そもそも光源は真正面にあるように思われます。


こうした表現は、芸術作品の体験とは、自然主義的な原理よりも美的、主観的な原理に支配されていることを表しているのです。


上記の通り、マネは作品を通して、個人的なヴィジョンを世界に押し付けながら、現代における主観性の形を形成しており、彼の活躍は印象派の第1幕というだけでなく、現代美術そのものの規範として現れていると言えるでしょう。