雑話34「エコール・ド・パリ」
科学的で客観的な印象派の視点を受けつけなかった当時の美意識も、一旦それを受け入れてしまうと、意識改革の流れはポスト印象派の私的な視点を重んじるものへと変化していきました。
芸術がプライベートなものとなったことで、芸術は実践する芸術家の数だけ多様に発展していく事になるのです。
マルク・シャガール「枝」1956-62年
20世紀を迎えるまでに、ポスト印象派から影響を受けた多様で新しい芸術が次々と生まれ、当時のパリは、まさに芸術の都となりました。
それ以前よりパリには多くの芸術家が住んでいましたが、この頃になると芸術家を目指す者たちが、国外から大挙してやってくるようになり、その多くは物価の安いモンパルナスに住むようになりました。
当時、芸術家のたまり場だったモンパルナスのダンスホール兼レストラン「La Closerie des Lilas」
そのモンパルナスを中心に活躍した様々な国籍の芸術家達は”エコール・ド・パリ”(パリ派)と呼ばれています。
彼らは一括りにされていますが、芸術上の共通点はありません。
敢えて言うならば、エコール・ド・パリの作家達のほとんどが当時の芸術界で話題となっていたキュービズムやフォービズムの影響を程度の差はあれ受けていると言うことでしょう。
モーリス・ユトリロ「コタン小路」1911年
エコール・ド・パリの芸術は歴史上にうねりとなるような芸術運動を作り出したものは少なく芸術的な評価は分かれるところですが、彼らの中には日本で人気の高い作家も多いので、興味をお持ちの方も多いグループではないでしょうか。
●日本で知名度の高いエコール・ド・パリの主な作家
・マルク・シャガール
・アメデオ・モディリアニ
・モーリス・ユトリロ
・マリー・ローランサン
・モイーズ・キスリング
・ジュール・パスキン
・カイム・スーチン
・藤田嗣治(レオナール・フジタ)


