雑話2「印象派の舞台:パリ」
印象派の画家たちのモチーフは、近代化された都市部に住む人々の華やかな生活です。
ギュスターヴ・カイユボット「パリの通り、雨」1877年
パリは芸術の都と呼ばれるだけあって、今でもその美しい街並みは有名ですが、当時のパリは世界で最も洗練されて且つ近代化された都市だったのです。
そんな近代都市で育った印象派の画家たちが、都市生活を描こうとしたのは自然な成り行きだと思われますが、実は彼らが子供だった頃は、パリはまだ近代化される以前で、薄汚れた路地裏だらけの街だったのです。
19世紀のロワイヤル通り
入り組んだ路地裏の通りには、住人が捨てたゴミや汚物が散乱し、人々の暮らしはコレラの流行に脅かされていました。
そこで、当時のセーヌ県知事、ジョルジュ・オスマンは、入り組んだ路地裏を取り壊して、大通りを巡らせ、架橋・道路建設を通じて雰囲気を一変させました。
大改造中のパリ
また、ルーブル宮・新オペラ座の建設を進めるとともに、建物の高さを一定に制限するなど街の景観にも配慮がなされました。
こうしたパリの住環境向上が、富裕層を都市中心部へと呼び込みました。すると、富裕層をターゲットとしたプランタンなどのデパートが次々と開店し、貴婦人が買い物を楽しむ習慣が現れ始めました。
また当時盛んだった鉄道敷設事業とも重なって、パリの近代化が一層進み、印象派が描くことになる都市の華やかな生活ができる環境が整っていったのです。


