昨日の投稿の続きです。
ランニングのコースとして立ち寄った広島城周辺です。
ここにも被爆の爪痕があります。
1589年の築城以来、三百五十年ちかくそのすがたを保ち、当時の人達に歴史を伝えていた鯉城と呼ばれた名城は1発の爆弾で跡形もなく消失したのです。
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広島城 
あの日もこんな晴天だったのだろうか?
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再建された二の丸
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城なのに建造時期が
わしより年下なの
へんな感じだわ(笑)
たらればではないけれど
原爆で焼失することなく広島の歴史遺産として残ること。そういう普通の風景がいちばんだよね。
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護国神社
広島人はこの神社や宮島へ初詣でに行くことが多い。
実家の白島から近いので子供のころはよくいってました。
1868年明治元年)
戊辰戦争に従軍して戦死した広島藩士を祀る「水草神社」として建立。
原爆で鳥居以外焼失したが、再建し現在に至る。
原爆で亡くなられた勤労奉仕中の動員学徒および女子挺身隊も祀られている。
来年で建立150年を迎える歴史ある神社。

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護国神社側の慰霊碑。
多くの軍人とともに学徒動員で召集され、亡くなられた学徒および女子学生も祀られている。
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慰霊碑の説明。
戦時中、ここは中国軍管区司令部防空作戦室があった。
当時アメリカ軍はここを含めた司令部全体の破壊を目標に原爆を落としたとされる。
横山健や奥田民生ほか多くの国内外有名ミュージシャンを撮影するカメラマン
岸田哲平の祖父であり、当時、広島師団司令部報道班員として被爆の翌日から、原爆被災写真を記録におさめた岸田 貢宜さんは広島城地下に作られた司令部におられたと伺っている。