2月3日
平和公園
アメリカンハードコアレジェンド
MDCと一緒に資料館へ行きました。
30年以上前から
ほとんどの来広バンドを連れていくので何百回行ったのか覚えてませんが
平和公園全体について
まだまだ知らないことが多いです。
現在は、保存のための改装で一時閉店となるレストハウスの地下に入れることもここ数年で知りました。
東館側にある被爆アオギリのことも最初から知ってたわけじゃありません。気にかけるようになったのはここ10年です。
この日も外国の方が説明を受けておられました。国連関係の人じゃそうです。
慰霊碑の真ん中がお賽銭箱になってるのもつい最近知りました。
52になってはじめて慰霊碑にお賽銭を入れさせてもらいました。
係のひとに聞くと市にもっていき
ちゃんとしかるべきところに使うそうです。
慰霊碑から少し東に向かった国立広島原爆死没者追悼平和祈念館はまだ数える程しか入っていません。開館から既に16年経っているのはサイトで知りました。
資料館についても、近所の後輩のお爺様の撮られた写真が展示されてると知ったのもここ数年です。
もしかすると、わしと同じく広島人の多くの方もあまり平和公園について知らないのかもしれません。
地元だからナビの人も頼みませんし、ガイドブックもみることも少ないからです。
スワロウテイルの冨恵くんも生前言われてましたが広島を知るためにヒロシマを知ろうと思ったと。
逆に県外から来た観光客のみなさんの方が知ってることが多い部分もあるとも思います。知らないからこそ事前に調べるだろうし、ガイドもつけるだろうし。
この年始に、平和教育について語るイベントに参加したのですが、世代を越えて共通するのは平和教育で習ったことより、そのほかで出会ったヒロシマから今の活動に結びつくということでした。
数十年に渡り受け継がれて来た平和教育、教えられる立場からすると平和学習は、形骸化したのかはたまた最初からそうだったのか?
考える機会を与えてもらった気がします。
今年のジンではそのイベントでの模様を掲載します。プラス平和教育のはじまりから変換期、そして現在へと繋がる寄稿も詳しい方にお願いして、載せようと考えています。
広島がヒロシマを知る。
そのことが戦争のない世の中への第一歩だとあらためて感じました。