2014年8月6日
To future gig
@クラブチャイナタウン
遂に
ハッピーさんラストスタンドの日がやってきた。
メインは広島からピースを発信する日だ!
そのために半年以上まえからバンドを集めて
企画を進めてきた。
同時にジンの発行もするので7月頭からこの日まで普段はタラタラのワシも大忙しの時期だ(笑)
7月に一度見舞いにいったけどハッピーさんの世話は両親とザキ、しゅうに任せきりだった。

ハッピーさんは病室で個人練習を繰り返してきたと主治医の先生からザキを通してのちほど聴いた。元気もでてとても良いことだと言ってもらえたのが嬉しかった。

あとは当日を迎えるだけ。
そうおもってたらザキから電話。
「容体次第では不参加になるけんね。ちょっと調子が悪いみたいなんよ。」

もともとハッピーさん参加の告知はうたないつもりだった。
ハッピーさんに縁あるひとだけに電話で口頭で伝えた。
こういう大事なことは、ラインやメールを使いたくなかったから。

ザキからそれを聴いた時、参加できない場合は電話か口頭で謝ろうとおもってた。

とにかく容体が安定して両親と主治医のゴーがでれば連れて行くとのザキの言葉を頼るしかなかった。
そしてハッピーさん不在のままイベントは始まった。
参加バンドはみな素晴らしく、集まったお客さんも素晴らしい!
イベントは前年度以上に大盛況だった。

「容体がよくなったけんいまからでるわ」
との、ザキからの電話から数時間後
ザキからライブハウスの近くに着いたとの電話。
しゅうもおるはずだから迎えにいってやって
と聴いたので
待ち合わせのセブンイレブンへ直行!
そこにはガタイのものすごいヤクザがいたので
取り敢えず目は合わせないようにしようっと、
とおもったら、しゅうだった(笑)
さすが元本職の貫禄(笑)
少しあと
ザキとハッピーさんも到着。
取り急ぎ二階の楽屋に連れていかなければならないので車椅子をたたみ、ワシはハッピーさんをおんぶした。
初めてあったのが19の夏。
それから30年。
まさかハッピーさんをおんぶするなんて思ってもみなかった。

やせ細った身体は軽かった。
それが哀しかったけれど、その気持ちは胸に
楽屋へ連れていった。
楽屋にはゲストバンド
Turtleislandやオールディックフォギーのメンバーが準備や休憩をとってた。
その中に、主催者がおじさんを背負って登場したものだからみんな少し驚いてた。ハッピーさんが来るかどうかわからなかったから殆どのひとには伝えてなかったしね。
あらためて、みんなに事情を説明して、奥の楽屋にハッピーさんを座らせた。
ハッピーさんの到着を聴いた関係者がぞくぞく
楽屋にやってきた。

そのなかにはもう何十年もハードコアgigから遠ざかってたひともいた。
そのなかでも、かつて愚鈍のシングルやオムニバスの録音をしてくれたスズヤ(現スタジオ5150)のかったんが来てくれたのはむちゃ嬉しかった。
卑下志望シングル
そして
鉛の愛を録音してくれたのが、かったんだったから。
数十種類のエフェクトを導入した新機材で望んだレコーディングはディレイ感溢れるハードコア史上でも独特な質感とメロディーを併せ持つ
鉛の愛の完成につながった!
余談だけどそのとき録音手伝ったスタッフはユニコーンの民生^ - ^

オマエノコトナドシラン
イガー
ハウリングヘイト
ストイックバイオレンス
regret
etcetc
愚鈍の数々のナンバーはかったんのスタジオより発信された。
わしにとっては広島のドンフューリー
そして、スティーブアルビニなのだ^ - ^

そういう懐かしいメンツが集まり、ハッピーさんを囲んで同窓会は始まった。
とても良い空間じゃった。あまり負担をかけちゃいかんから少人数で代わる代わるハッピーさんと話した。
ゲストで愚鈍をしってるメンバーも話しかけてくれた。
ピースイベントに私情を持ち込むことに抵抗はあったが連れてきてえかったと思った。

こうして
刻一刻とハッピーさんの
ラストスタンドは近づいていった。

<続く>
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