ハッピーさんは
快く愚鈍の鉛の愛を歌うことを承諾してくれたけど
わしには全然プランはなかった。
アコースティックでわしがギターを弾いて
ハッピーさんが歌うか
ガイギャンでハッピーさんが歌うか
それともバンドでやるか?
バンドでやるとしてもオリジンしかない。
バンドのメンバーは快く承諾してくれるだろうか?
けっか
オリジンのメンバーはそういうことならぜひやろうと言ってくれたのでバンド編成での
出演をハッピーさんにお願いした。
合同練習はできないけど
ハッピーさんも相当なブランクはあるし
声も喋ることはかろうじてできてもとてもフルで歌えないことはわかってた。
そもそも肝臓ガンの末期で腹水が溜まり、歩くことすらままならない彼をステージにあげることができるのか?
様々な葛藤があった。酷いやつかもしれないと自分を責めたこともあった。
そんな、わしの葛藤など実はどうでも良いレベルで、山口のハッピーさんの親族とワシをつなぐのはザキだ。
ザキはワシに一言も愚痴を言わなかったけど実際は親族間でいろいろあったらしい。
直接親族から文句を言われたのはザキだ。
それはハッピーさんを心配してのことだから当たり前なのだがね。
ワシも親族ならば、ステージにたたさないほうがいいと言うとおもう。
でも肝臓ガンの末期にきて、医者から余命宣告を言われた彼がベッドの中でただ死ぬのを待つのくらいなら
最後に
たくさんの観客の前で歌わせてあげたいとおもったんだ。
かれ自身も
坂本龍馬のように
前のめりに死にたい
とおもってくれると信じてたから。
そんな時、ハッピーさんのおとうさんが
ユキオ(ハッピー)が歌いないならば歌わせてやればええ!
それが本人がしたいことなんだからな!
この一言で8月6日の
ハッピーさんの出演が決定した。
「鉛の愛」
にすこし語らせてもらいたい。
これは愚鈍の自虐が歌詞と曲を担当したナンバー。
中原中也や、横溝正史、奇形児、マスターベーション、そしてスターリンの世界観も入っているかもしれない
80年代初期のサブカル&オルタナ感溢れるハードコアパンク歌唱ナンバーだ。
当時はSxOxB、システマが台頭し始め
所謂スラッシュが日本を席巻する時代。
そのなかで歌モノでありミッドテンポの
鉛の愛は異色であった。
ガーゼのシンさんも「このナンバーはあんまり好きじゃないな。
ほかのはいいよ。速いから!」
て当時は言ってた。
一年もしないうちに
「なんかさー
なんども聞いてると鉛の愛て良いよね
噛めば噛むほど味がでるっていうかさ
スルメみたいなナンバーだよ!
いまは俺は大好きだね!」
と言ってもらえた。
むちゃくちゃ嬉しかった!
東京ライブで鉛を愛を演奏した時
シンさんはコーラスをとってくれた!
その瞬間
鉛の愛は愚鈍の代表作となった。
東京大阪地元広島
ツアー地でも
鉛の愛をやればお客さんがのってくれるようになった。
鉛の愛は自虐なりの
ラブソング
そして夢オチの歌だ。
同じシングルの一曲目
ストイックバイオレンスで
友情すら否定しながらも
鉛の愛では
愛することをうたっている。
「お前から死んでくれないか
お前の死に顔見れば俺も安心して死ねる。」
後追い心中だね
愛ゆえだ
死ぬのは美しいとおもってた
爆裂ヤングの叫びだよね
「赤い夢 俺を虜にする
鉛の愛でお前を深く沈める夢だった。」
ここが夢オチの部分だ。
かなり屈折はしてるものの(笑)
真摯な愛の歌でもある。
その世界観を一手に引き受けたハッピーさんは
凄い!
このナンバーはハッピーさんでなければ
なしえかったろう。
忌み嫌われて千里の道を
所謂Aメロのリズムはお経のリズム
自虐はハッピーさんにお経のようにうたってと
リクエストした。
いうほうは簡単だけど言われたほうは
大変だよね(笑)
バンドでも自虐のリクエストは分かりにくい部分も多々あった。
リズム体同士で何度とはなしあって
作曲者の自虐に確認しあった
20歳そこそこのワシらには少し難解な曲展開であったのだ。
そうして鉛の愛は出来上がっていくのであった。
<続く>



