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きのう9月8日は
かつてワシが在籍していた愚鈍のボーカル
ハッピーさんの命日。
2014年に亡くなってから今年で4回忌となるこの日に彼の実家へいき、仏壇で線香をあげさせてもらい、その後、墓所に墓参りに行きました。

ハッピーさんが愚鈍に加入したのは85年の終わり。
その年に周南(当時は徳山)のライブに招聘してくれた彼のバンド、Acuteのステージを見た愚鈍のギター自虐が目をつけていた模様。
余談だがそのときの前座に素人のコメディアンが出てたのだけど、高校時代の松村邦弘だったんだって(笑)
当時、2代目の愚鈍のボーカルは女性だった。
彼女が脱退したのかクビになったのはよく覚えてないけど、自虐がハッピーさんにヘルプを頼んだのはよく覚えてる。
かく言うワシも一度愚鈍を脱退してる。
後に、ユニコーンのベースになるエビが当時はTrashというパンクバンドをやってて、狂平(Gas〜自我)を、ボーカルにして一緒にハードコアバンドを組む予定だった。
そんな時期に自虐に、一度だけ手伝ってくれない?
と言われ結局、解散まで付き合った(笑)
ヘルプというのは自虐のいつもの手だ(笑)

ハッピーさんも例に漏れずヘルプから、正式メンバーになった(笑)

90年8月に解散するまでボーカルを務めた彼は愚鈍のイメージとなった。
1代目、2代目がいるとは知らないひともいるくらいだから。

彼の特徴は良く通る声。
当時主流だったとにかくハードでドライブのかかった声ではない。
何を歌ってるのか分かる範囲のハードボイス。
普段の声も良く通る。
アナウンサーのようにハキハキと喋る彼の声と芸人のような彼の話術は多くの仲間から慕われてた。

そんな彼の少年時代は声が小さく小心者で答えがわかっても手も挙げれない子供だったらしい。
心配した担任の先生が落語を教えて、出来るようになったらみんなの前で披露しよう!
と言ってくれたのが自分を変えたキッカケだとハッピーの後輩でタメ年のザキに聞いた。
「絶対にいやだ」
というハッピーさんに先生は説得を繰り返し
結果、みんなの前で落語を披露したらしいんだな。
そのときにウケたのか、どうかはハッピーさんからその話を聞いたザキすら覚えてないからわからないのだけど、兎に角そのときをキッカケに大人しい少年はクラスの人気者になったということだ。
同時に人を楽しませることを覚えた彼は体をはっていつも笑いを振りまいてたらしい。

愚鈍のなかでもインテリの自虐、そして元ヤンのワシとはまったく別のタイプでハッピーさんは、楽しい、面白いという陽の面を出してくれた。
植木等擁するクレイジーキャッツが大好きな彼は、昭和なギャグが大好きだった。歌も大好き。
ワシも影響されたのでいまでもクレイジーキャッツが結構歌えたりする(笑)

この陽の部分は多くのパンクスに好かれ、愚鈍と他のバンドの繋がりを増やしていくことになる。
ガーゼのシンさんに言われたことがある。
ガイくんはいつもハッピーくんの隣にいたよね。恥ずかしがり屋だったもんね^ - ^

自分ではわからないものだ
確かにワシは恥ずかしがり屋なんだな。
それを隠してたんだけど、年上から見るとバレバレだったんだろうね(笑)

そうして、ハッピーさんを通していろんなパンクスと仲良くなれたんだなと改めて思ったりする。

そのハッピーさんのハードコア初体験は
ガーゼ!
80年初頭、大学で東京に出ていた彼が有名ライブハウスに足繁く通っていたときのこと。
たしか新宿ロフトだったと思うが、ガーゼは、アナーキーのライブの前座で出てたようだ。
アナーキーはヤンキーパンクスや暴走族上がりに絶対的支持を得てたけど、ハードコアパンクスなど殆どのひとが知らない時代。
ハッピーさんもアナーキー目当てで行ってたそう。

アナーキーのファンは、初めて見る超高速のハードコアパンクが理解できなくてブーイングの嵐だったと聞いた。
そのなかでハッピーさんはもの凄い衝撃をうけたそうだ!
四面楚歌のなか爆裂ステージを演ずるガーゼに!
そしてハードコアパンクが放つそのスピードに!
そうして
彼はアナーキーを捨てハードコアパンクにのめり込むことになる。

<続く>