昨日、9月4日
エイトシックスの主催者
インマンこと今村と呑みに行った。

エイトシックスは2001年から毎年。
ワシがやってるTO FUTURE GIG
は2005年から毎年やってる。
それまでは8月6日を音楽で表現するイベントはなかった。
いや
わしらより前にやってるやつがいた
スリーピーアイのススムだ。(下記に転載されたBOSSくんのブログにはスっさんで出ている)
旧市民球場横のハノーバー庭園で野外パーティーをずっと続けてる。
ハチロクに音楽で表現する先人のひとりだ。
ミチロウさんは90年代から平和公園から一番近いライブハウスで爆心地ライブを続けてる。
原爆ドームの対岸でも5日、6日に音楽イベントは開催されている。
わしが直接影響をうけたのはアスフォートのヨシキがはじめた
Space tribe 
1999年の8月6日のことだ。
ヨシキに全面協力しながら他県のパンクスの開催するヒロシマイベントに依存するアンバランスさに気づいたのが2003年。それから2年、やっと自分の足で、自分たちの足で歩き出したのが To future gigだ!
原点回帰の意味を含めて去年8月6日にアスフォートを招聘させてもらった。

けれど所謂ワシらの仲間内で初めて8月6日に音楽イベントを開催したのはススムとその仲間たちによる野外パーティー

インマンとの飲み会
二次会の場所はその主催者のひとり
ススムのバー
センターポイントだった。

3人とも
四半世紀前からの友達。
ススムとインマンは同級生だから
その想いは、ひとしおだろう。
その3人が考える8月6日は
今ある平和を楽しむこと。

わしは
ここ近年、式典に参加するようになった。
それより前は反核デモで何年も参加してた。
今は8時15分には式典参加者と共に黙祷する。
それまではドーム前反核デモ
ダイインをしてたこともある。
それよりさらに前はお家でテレビみながらの黙祷。
それが幼少時代からの習慣だ。

8月6日はなんとなくだが
この日に亡くなられた方へ想いを馳せよう。
なんておもってた。教えられたのもある。
実際にそれは続けてるけれども
それはある意味、自粛ともいえるかもしれない。
巷で言われることのマイナスの意味の自粛
とプラスな意味の自粛の二つあるとおもう。
けれどなんとなく地味な一日であることは間違いなかった。

そんな空気が嫌だったのだろう。
3人ともね。
だから8時15分の黙祷を最後に
その日は大いに酒を呑み、音楽で騒ぐ!
これこそ大事なんだな!
そのことに気づいた3人。
広島のストリートを拠点に少年時代を過ごした3人だからこそ理解する8月6日があったっていい!
そして8月6日は
反戦反核の想いを強烈に打ちだせる日でもある。
それと同時に不穏な時代ではあるけれども、まだまだ平和な今を実感できる大切な日でもあるわけだ。
普段からそういうことを思わなきゃならないんだけどね笑

そういったものが絡み合いアウトプットした
イベントが三人三様のイベントなんだ。

いかんいかん
長くなった
持論が笑

下記に8月6日のことをBOSSくんが記してくれたブログから一部転載します。
エイトシックスでBOSSくんを知った人
近年のロックとのコラボで知った人
スラングこーちゃんのストレートアップから20年前リリースされたアルバムから知ってる人
ロックファンから見たtha BLUE HERB
ヒップホップファンから見たtha BLUE HERB
アンダーグラウンドファンから見たtha BLUE HERB

様々だとおもうけれども
BOSSくんはずっとストリートにいた。
あの忙しい1日のなかで最後に訪れたハノーバー庭園。
そして原爆ドーム。

近年ロックファンとしてtha BLUE HERBを知った人には
言葉だけでなく体感してほしいと思う。

そしてエイトシックスとTo futureと今年、初めて絡んだ意味を。
最後に訪れたハノーバー庭園のこと。

そして彼は未だストリートにいることを。

この日の想いが形になる日を楽しみにしながら
ILL-BOSSTINOに
リスペクト!!

以下転載 :

翌日6日。8月6日。イベントはある意味この日が本番。俺も広島に残った。俺の使命はBRAHMANとの「ラストダンス」を鳴らす事。そしてもう1つ、別会場で行われているTO FUTUREというイベントでOLEDICKFOGGYとの「弾丸さえあれば」を鳴らす事。同じ日に同じ街でやるのは初めてだ。両会場を行き来して、リハ、本番を終えた。両会場とも壮絶だった。どちらにもメッセージが溢れてた。表現の仕方が違うだけで、根底に流れている思想は同じだった。ダイバー達もド不良達も、皆、楽しんでいた。新たな出会いも沢山あったし、久々の再会も沢山あった。特別な日、広島で出会えたという事実だけで、それだけで十分幸せを
分かち合える、そんな日だった。最後は広島の古くからの仲間がやってた野外パーティーに辿り着き、着陸。音が止まり、別れを告げ、長い1日の最後は独りで原爆ドームに行ってしばらくベンチに座ってた。思い出される沢山の出会い、笑顔や会話に混ざり、去来する様々な想い、並ぶ空っぽの窓枠、横を静かに流れる
川。静寂は72年前にそこにあった地獄絵図を容赦なく想像させる。この日この街で想った事が、言葉に現れるのはまだ時間がかかるだろう。これも東北の時と同じだ。全てが貴重な時間だった。今は感謝しかない。神鳥さん、有馬さん、今村君、ガイさん、マスター、スっさん、ダイジ、広島の仲間の皆、ありがとう。
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