いよいよ近づいたto future gig 2017の
フライヤーを仕事終わりに配ってる毎日なんですが、知らないお店にも設置をお願いしたりしてます。
そのなかで、よい出会いもありました。
先日は中区本川町の木賃宿つるやにフライヤーを持っていきました。
友達何人かで運営してるようで、そのなかのひとり、ケンタくんにフライヤーを貼ってもらいました。
店内は古民家を再生したおしゃれなカフェです。
その壁面に気になった新聞切り抜きが。
何年か前に話題になった旧中島町のCG再現の記事でした。
お店の屋号
つるや
は、その当時、中島町にあった靴屋さんで、ケンタくんはそのお孫さんにあたるそうです。
おじいちゃんである当時の店主は満州にいっており、被爆は免れたそうですが、帰国して中島町の全滅に唖然としたそうです。
つるやは今の原爆の子の像の側にあったそうです。
未だに勘違いしてるとひともいる思うし、わしもかつてはそのひとりでしたが、平和公園は公園ではなく広島一の繁華街だったわけです。
そこには多くの人たちの生があったわけです。
落とされたのが公園でよかったね。
と何かの記事で読んだことあります。
中島町の記憶はそれくらい風化しているんです。
この世界の片隅に
の片淵監督がつるやのおじいちゃんに取材にきたそうです。
監督は呉にもなんども足を運んだと聞きます。
土の色、海の色を丹念に調べアニメの中に広島を蘇らせてくれています。すずが江波から船に乗ってお使いにいき、周作さんと、出会った、中島町もそうでした。
わしが見たことのない町が確かにそこにありました。
平和公園を歩くと同時に旧中島町の地図を思い浮かべ、そこに当たり前にあった生活を想像することだけで、充分ヒロシマを感じられるのかもしれません。
それは平和公園ではなく近隣の町もそうです。
資料館にはなにもない!
と言われた胎内被爆者のボランティアナビのひとが言われたことがいまでははっきり分かります。
このつるやの二階は大広間となっていて
時間食べ飲み放題で借りることができます。
改装した一階と違い、当時の風情を残した昭和の部屋です。もちろん戦後に建てられたものですが。
縁側に足をかけてビールをぐいっと。
そこから見えるのは原爆ドームと、平和公園。
旧中島町です。
中島町で確かにあった生活を100メートル先の本川町で、その子孫が運営するバーで想像する。
そして今の平和を実感する。
ええ感じですね。
このままいつまでもこの平和が続きますように。



