こんにちは。高貝です。

前回は「実力が無くともアピールする」 「実力が無くとも有るフリしてクールに振るまう」ことが、つまり
虚勢を張ることが、生き抜くための自分なりの行動パターンだったとお伝えしました。

そして、そのパターンは、劣等感から生じていたことも。

今回はその続きです。

実は、もう一つパターンが有りました。
それは、「実力があって、その上でアピールする」パターンもあったということ。

ところが、そのパターンでも、ハナについたり印象が悪くなる人っていますよね。そして、自分はまたもや、当てはまっていたようで。

例えば、こんなことがありました。今思い出しても、恥ずかしいものがあります(^^ゞ。

自分は暗記モノが得意で、社会とか国語とかは得意教科でした。

で、中学校のころに、日本史とか世界史とか地理とか、覚えることが結構一杯あるでしょう?

そこでテスト前には友人同士、クイズ形式で問題を出し合いませんでしたか? テスト勉強の一環で。

自分は得意なもんだから、友人が出す問題を、
かなり得意気に解いていったわけなんです。ヘタをすれば、「もっと難しい問題出してよ」と言わんばかりに。

そうすることで私は劣等感を隠すことが出来、自尊心も保てていたのでしょう。どうだ、オレはスゴイだろう!と、ドヤ顔してたかも(^^ゞ。

でも周りからすれば、イヤな感じしませんか?あるいはオモシロくないですよね。

もしくはそんなことでアピールする姿は子供っぽくて滑稽に見えるかもしれません。

自分の友達はオトナだったのでしょう。かなり滑稽に見えたみたいです。

そこで、直接からかうだけでなく、FM放送に投稿してしまったのです!。歴史クイズで得意気になってるアホなヤツがクラスにいるんですー(笑)と。

FM放送でその友人のハガキが採用されて、読み上げられまして(笑)...

当時はネットも当然無かったし、FM放送のメディア力は強かったわけで、他の学校にまで広がったかも(^^ゞ。

少なくとも自分の兄はその放送を聞いて勘付いて、「あの手紙はオマエのことだろ?学校でバカにされてんじゃねーの?」と言ってきて、バカにする始末でした。

自分は慌てて否定したものの、その手紙は自分のことを言っていたのは明らかでした...なんたる屈辱...相当凹んだし、恥ずかしかったし、困った覚えがあります。

社会科が得意なことによって、自分の劣等感を覆い隠し、自尊心を保てるはずが、逆に劣等感は白日の下にさらされ、自尊心は急降下・墜落です。

そのFM放送を聴いた全ての人に、訂正してまわりたい!と思ったものでした。そのイメージは間違いですよ、と。

その投稿した友人はいいヤツでしたが、さすがに恨みましたね、その時は。

劣等感を覆い隠し、自尊心をキープする為にやっていたことが、笑いのタネになってしまう...。

今考えれば、やはり自分が滑稽なのですが、当時は全く分からなかったですね、その辺が。そしてその友人や兄を恨んだものです。

つまり、自分が滑稽なのではなく、そんなこと(FM放送に投稿)するヤツがおかしい、手紙の内容もおかしいとか言って、相手を否定。
そして自分を正当化。

自分の劣等感を隠し自尊心を守るべく、他者否定&自己正当化を繰り返すパターンが出来たのでした。

そんなパターンはいつまで続くのか? 
恐らく、自分がそのパターンを繰り返していることに、客観的に気づくまで続くでしょう。

恥ずかしながら、私がそのパターンに客観的に気付いたのは最近のことです(-_-;)。

で、私がそれに気づくまでは、私を刺激してそのパターンを繰り返すように仕向ける出会いが、ずっと続いたのでした...(笑)。

今思えば、子どもの頃から最近に至るまで、ウマの合わない相手・やりにくい相手が、誰かしらいたものです。

私の
劣等感を呼び起こし、自尊心を低下させるやり取りや出来事が、彼らとの間に何かしら必ずあったと思います。

そういった話を、また次回に書きたいと思います。
いつもここまでお読みいただき、本当に有り難うございます。