3月末に宮古に戻り親戚に会うことができました。
幸いみんな無事でしたが、被害の酷かった地区に住んでいる叔母は腰まで海水に浸かって、11日から数日間自分の家に10人ぐらい泊めたそうです。
そんな叔母からお土産だといって、コーヒーのギフトセットをもらいました。持って帰れと。
正直な話、被災者からお土産をもらうのはどうかと思いました。
しかも重い!
横浜から10㎏以上の食料をもって宮古に来たので、帰りは軽いほうがいいな、とちょっと思いました。
で、避難所にもってってあげようかな?と。
かなり抵抗がありました。
どうしようか迷いました。
だって栄養になるものではないし、もらい物をあげる、みたいな気持ちのこもってないとも受け取られることをしてよいものか、と。
震災から1~2週間経ってみなさん気もいらだってるでしょうから、気分を害するような事はしないほうが良いかな?と。
コーヒーより肉や魚、ご飯が良いに決まってます。ずっとオニギリらしいので。
しかし、意を決して避難所を尋ねました。
私 「おすそ分けですが・・・」
市の職員が居て対応してくれました
職員 「全員に行き渡るほどの数がないと受け取れないんですよ・・・・不平等になるので。」
私 「そうですよね・・・・・」
「ちなみにインスタントコーヒーですが・・・」
職員 「本当ですか!?。ちょうど今朝コーヒーが欲しいねってみんなで話していたんですよ!」
「ありがとうございます!みんな喜ぶと思います。いただきます。」
予想外の喜びようにびっくりしてしまった。
なんでも、お湯お茶はあるけどそれ以外の暖かい飲み物が無かったそうだ。
普通なら何の問題もなく用意されるものだけれど、こういう事態だから、何が不足するか解からない・・・。
結局、山と積まれた支援物資の中で、私の持っていったほんの何個かのインスタントコーヒーがその避難所の最初のコーヒーだった。
思った以上に役に立てたかもしれない・・・・
うれしかった。
同時に「相手の欲しいもの」をあげれば確実にもらってくれるんだなと
商売の基礎を、かんがえさせられました。
3/11いろんなところで黙祷されたようです。ありがとうございます。
私の田舎、宮古も大変な被害でして、まだまだ復興には時間がかかりそうです・・・・・。
昨年3月9日頃の話。
「余命はあと数週間でしょう」と。「何ヶ月という単位ではありません」
末期がんだった私の母の診断結果です。
入院すればある程度は体の面倒を見てくれますので、楽チンだろうに、母は全て断りました。
普通に生活するだけでも体中痛くて大変なそんな状況で、自分の状況を察したのか、私の母は家を出ると言い出しました。
医者の忠告聞かず、
せめてもう少し入院なり通院なりして充分な治療を受けてからにしてくれ、という家族の話を聞かずに、
ろくな準備もせず次の日に叔母の家に行くと言って家を出てしまいました。
生きている間に自分一人の時間がほしいと言って・・・・。
もちろん付き添って送り届けましたが。
そんな直後に震災は起きました。
あのまま宮古に居たなら私の母は、そのまま召されていたでしょう。
流されなかったとはいえ、実家も電話や電気が止まったり、食料がなかったりしましたので・・・・。
ましてや入院などしていたなら、なおさらです。
診察を受けた病院は避難所にもなり、物資の不足で大変だったようですので。
結局母は6月に逝きました。
震災によるものではなく、自然な死を与えられたのだとおもいます。
そのわずか3ヶ月の間に、親戚や幼馴染などに一応一通り逢えたのではないでしょうか。
それを「良かった」事と思うのはいささか不謹慎だとは思いますが、
身内に囲まれて逝けたのはやはり良かったと思わざるを得ません。
なので、逆に震災のような予測不能な事態で亡くなるのは本当に無念だと思います。
生きている者として生をまっとうしなければいけないと、つくづくおもいます。
もう充分引きこもってますが・・・・
訳あってしばらく引きこもります。
「自分探しの旅」風なものと思ってください。
探さないでください。
探さなくても居ます(笑)
少しの間、たった一つのことをコツコツとやってみたいのです。


