ただ年齢だけが増えた

いつまでも未熟な

おとな


まだ短い人生しか生きていないのに

おとな以上に生きた

こども


どちらが良いとか悪いとか

そんな事はどうでも良くて


ただ

こどもをこどもとしてでなく

おとなをおとなとしてでもなく

一人の人間としてどちらの人とも

同じように付き合いたい

年齢に関係なく

見下ろす事も見上げる事もせず

同じ目の高さで

話すべきだと思う

それに、自分だって

どれだけおとななのかこどもなのか

わからないものね…

人を敬うって

そういう事なのかなって思ったりする

同じ目の高さで ...



踊りで自己表現するダンサーのように

想いを歌うシンガーのように

料理に魂を込めるシェフのように

物作りに勤しむデザイナーのように

誰にも負けたくないアスリートのように

誰のためでなく

一心に自身の求める事を

精神誠意追求した先には


喜んでくれる人がいて

自分の支えだと言ってくれる人がいて

勇気をもらえたと思ってくれる人がいる

そうなんだ

元々は自身の喜びとして始めた事なのに

突き詰めていくと

自身ではない誰かのためになっている

つまり

自分のためになる事こそ

人のためになる

言い換えれば

自分を犠牲にして誰かのために何かをするのは

人のためにはならないという事でもある


自身を愛する事で

誰かのためになろう

自己愛

素晴らしいと思うよ


多くの人が

強く生きるとか

強い心を持つんだとか

そんな風に願っていたり

誰かを激励したりしている

でも

どんな強さを思い描いているんだろ?

どんな人なら

どんな心なら

強いって言えるんだろう?


もしかしたら

どんな苦しさにも耐え抜く心のこと?

どんな痛みも感じないほどの強さ?

決して挫けたりしない精神力?


僕はどれも違うような気がする


負けてもいいし

痛い時は痛いと言い

泣いても挫けてもかまわない

人間だからね、倒れることもある

そう、弱くたっていいんだ


強さはそこから発揮される

泣いても倒れても挫けても

また起き上がる

また歩き出す

何度でも何度でも

歩く事をやめない


強さがあるのなら

きっとそこなんじゃないかな

倒れないことじゃなく

倒れてもまた起き上がること









 

心なんて

どれだけ強がっていても

風が吹けばよろめいて

雨が降れば流されそうで

どこか頼りなくて

心許なくて

でもね

だからこそ

なんとかしようと思う心を

持つ事ができるし

そうやって生きていける


心なんて

どれだけカッコつけたって

寒い風が吹けば

人恋しくて

誰かの温もりが欲しくなる

誰かの手を握りたくなる

でもね

きっとその方が

風の中でただじっと

風が過ぎるのを待つよりも

ずっと良い


誰もがみんな

そうやって

か細い心に支えられて生きてきたはず

あなたも同じ

僕も同じ

 


 

 

 

毎日仕事をしていると色んな事があるのだけれど、

 

毎日必ず思う事があるのです。

 

それは何かと言うと、、、、

 

IT関連の仕事をしているのにこんな話をするのもなんですが、

 

ITに頼り過ぎると本来の人間性が破綻するような気がしてしょうがないのです。

 

 

例えば・・・

僕が製品を仕入れる時の方法はというと、取引先の人と会って話すでもなく、

 

電話で会話をするでもなく、電子メールで何をいくつ欲しいか伝えて、

 

見積書をメールでもらったら、僕の方からも注文書をメールで送るわけです。

 

 

自分がサービスや製品をお客さんに売る時も同じな訳で、

 

ある日メールが飛んで来て、何をして欲しいか、何が欲しいか、

 

いつまでに完了して欲しいのか、その金額はどうなのか・・・

 

そんなやりとりは全てメールに乗せて往復するのです。

 

 

結果どうなるかというと、朝からメールを読んでは返信し、返信したメールに

 

確認事項だの、追加情報だの、問い合わせがありまして、、、、、

 

的なものがあちこちから返ってくるのです。

 

気がつくと、朝から何十通というメールを送信していて、営業活動的な事なんて

 

あんまりやってないのにドッと疲れちゃうわけですよ。

 

 

デジタル文字じゃなくて、相手の感情だとか、匂いだとか、体温だとか

 

そういうものが伝わる仕事がしたいなって思うんだけど、今の時代には

 

マッチしないのかな。

 

 

相手の顔も知らずに、会社名と担当者名だけで仕事をするのって、

 

どうなんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現代のように

ありとあらゆる物が溢れていると

どうしても物やお金の多い少ないが

幸せの基準になりやすいし

きっと多くの人々が考え違いをしています


どんな街に住み

どんな家で暮らすのか

どんな車でどんなレジャーを楽しみ

毎年の海外旅行はどこへ行くのか

ファッションやグルメを満喫できて

子供達には文化的な習い事を沢山させて...



これらの事が満足できれば幸せなのかというと

僕はまったくそうではないと思うのです

だって、100年、200年も昔の人達には

都心のタワーマンションも

高級自動車も

ブランド物のドレスもバッグもなければ

飛行機も飛んでいなかったし

携帯電話もインターネットもなかった

それでも当時の人達は

きっっと幸せに暮らしていたんです


問題なのは

環境や物やお金ではなく

人々の心なんです

田舎に住もうと都会に住もうと

数千円のファッションだろうと一流ブランドだろうと

自分を幸せと思えない人は

どんなに優れた物を揃えても

どんなに良い環境で生活をしても

やっぱり幸せにはなれないのです


心の豊かさに幸せを求めたら

きっとこれまでとは違う何かが

見えてくるんじゃないかなって

そう思うのです

 

 

巷では婚活なるものが盛んなそうで、

皆さん思い思いに結婚相手を探して

いるみたい。

そんな皆さんに、僕は決してケチをつける

つもりはないのだけど、

どうしてもひとつだけ、

気になる事があるのです。


どんな相手を探そうと、それは本人の

自由なんだけど、あからさまに条件を

並べて欲しくないなぁ。

まるで、店頭で商品選びでもしてるみたい。

街のお店で買い物でもしているみたいで嫌だなぁ。


身長は何センチ以上で…
(テレビを買う時の、「画面は30インチ以上で」みたい…)

職業は公務員がいいなとか、医者か弁護士じゃなきゃみたいな…
(洋服のブランドを選ぶみたい…)

収入はいくら以上で…
(買い物の予算予みたい…)

学歴は何々卒以上で…
(商品のグレードを選んでるみたい…)


なんだかさ、男が物扱いされてるような気がして

どこにも人間性が求められている気がしない。

もし僕が婚活してて、例えばお見合いパーティーの会場で

こんな事を言われたら、その場でおしまいになりそう。

きっとその女性とはお話しもしない。


もちろん、生涯の伴侶なんだから、

生活をする上である程度の条件があっても

いいと思うけど、そんな条件ばかりが

先にあって、どんな家庭を作りたいとか

旦那さんになる人の人間性とか、

人としての夢が語られないのは

僕には残念なのです。

もちろん、中にはそういう人も

いるのでしょうけど、

僕は古い人間なのかなぁ。

 

結婚の条件て、もっと違いとこにあるんじゃないのかな?



 

 


満員の通勤電車の中で

リュックを背負ってたり

酒を飲んでたり

エロな新聞広げていたり

そういうのやめようよ

そんなあなた方が

自分の子供に

道徳心だとか

礼儀だとか

躾だとか教育だとか

そんな事を真面目な顔で言ってたら

ホントにお笑いだよね

教育されるべきは

あなた自身なんだ、違います?
 

 

あの人の心が欲しい

あの人を奪ってしまいたい

それが叶わなかった時

恋を失うと言う

失恋と言う

けれど

決して失愛とは言わない

愛は欲するのでも

求めるのでも

まして奪うものでもなく

与え続ける事が

愛だから

そう

愛する限りにおいて

失う事などないのです
 

 


誰かに恋をすると

「あの人に自分を好きになって欲しい」

と考えるのと

「あの人に恥ずかしくない自分でいたい」

と考えるのとでは

多分、進む方向がまるで違うのだと思う

 

結果も違ってしまうのだと思う