2018331日(土)19時より大阪府豊中市の市立文化芸術センターにおいて、「ゆがめられた政治と教育 ―森友問題から見えてきたもの」と題する市民集会が開催されました。

 

日時 2018331日(土)1900

場所豊中市立文化芸術センター

主催森友学園問題を考える会

 

19時開催となると帰宅がかなり遅くなるので、そのあたりのことが少し気になりましたが、家人が『責任をもって連れて帰る』と言うので、安心してついて行きました。(暗くなるとなんとなく心細くなるというだけで、けしてお化けが怖いというわけではありません。)

 

政治の私物化によって「男たちの悪巧み」(昭恵氏)の実現をはかろうとしてきた「チーム安倍」。それに敢然と反旗を翻した「前川」さんが「森友小学校」ゆかりの地「豊中」を来訪するとあって、会場入り口付近には早くから長蛇の列ができていました。

 

席に着いて場内を見渡すと、もうすでに満席状態でした。後で知ったことですが、他府県からの参加者を含め、1,400人もの人が詰めかけたようです。

 

壇上に並んだ前川喜平(元文科事務次官)、寺脇研(元文部官僚・京都造形芸術大学教授)、木村真(豊中市議)のお三方によって、「森友・加計」疑惑に象徴される「安倍私物化政治」についての分析や意見交換が行われました。終始熱気に包まれていた会場の雰囲気が印象的でした。

 

  * https://iwj.co.jp/wj/open/archives/416851

 
 前川さんはここで「道徳」の問題に言及し、この4月から学校で教えられることになっている「道徳教育」への危惧を表明されています。
(動画1時間1320秒あたりから)
   
 この前川さんの問題意識を受け、「道徳」や「道徳教育」について少しばかり目を向けてみようと思います。

 辞書によりますと、「道徳」「道徳教育」については、おおよそ以下のように定義されているようです。


 *「道徳」*
人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的原理。

 
*「道徳教育」*
子どもに特定の行動・態度の様式や価値観・規範意識を身につけさせ、一定の価値を思考させ、理想を自覚・施行させる教育。

  辞書に説明される意味内容を参考にすると、少なくとも次のようなことが言えるように思われます。

  「道徳」というのは、『これが「道徳」ですよ』と言って子どもたちに一定の価値観を押しつけるものでも、子どもたちがそれをどう受け容れたかについて点数をつけて評価するものでもないということ。

   「道徳教育」においては、子どもたちに「道徳」とは何かについて考えてもらうべきであること。

 また、「よい行い」や「悪い行い」とされる物事があるけれど、どうしてそう言えるのか、それは本当に正しいことなのか。そうしたことを考える力を、しっかりと自分のなかに培ってもらうべきであること。

 しかし、「国」を統治している政治家たちにとっては、子どもたちが善悪を弁別し、それを規範として行動するようになるのは、とても厄介で困ったことなのです。人々の民度(理性や道徳性)が高くなると、それに相応しくない、民度の低い凡庸な政治家たちが淘汰されていくことになるからです。

 「国」はだから、『これが「正しい」ことですよ』と学校で子どもたちに教え込もうとはするけれど、なにが「正しい」かを考える力を身につけさせようとはしないのです。

 

そもそも、政治を私物化し、不正を嘘塗れの答弁でごまかしては開き直っている政治家たちに「道徳」を語る資格はありません。彼らが「道徳教育」の必要性を声高に説いたところで、虚しく響くばかりです。「道徳」の精神を養うべきは、安倍氏とそれを取り巻く政治家や権力にへつらう役人(官僚)たちの方でしょう。

 

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さてここで、「道徳」というものを考えるにあたって持ち出される論題の代表的事例の一つを紹介しておきます。

 

夫からの暴力に耐えかねて逃げてきた知人をあなたが自宅に匿ったとします。そこにその夫が訪ねてきて「妻を見かけなかったか?」と訊いてきました。

 このような状況にあるとき、「あなたならどう対処しますか」と問うものです

 


① 嘘をつくのはよくないことだと思い直し、「ここに隠れて
  います」と正直に告げる。

 

② 「先ほど、走っている姿を見かけましたけれど、それがど
     うかしましたか…? 」などと言ってはぐらかす。

 

③ 「いいえ、知りません!」と嘘をつく。

 

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それぞれについて、どのように考えることができるでしょう?


① 「嘘をついてはいけない」という道徳的価値観に則った行為
    であったとしても、知人は家に連れ戻され、夫からさらに
    酷い暴力を受けることになるかもしれません。

 

② 先ほど見た光景を嘘偽りなく伝えていますが、質問には答
    えていません。正直にはなれないが、嘘をつくのも嫌だ。
    このような態度には、いかなる評価が与えられることにな
    るのでしょうか?

 

③ このような場合には、嘘をついても知人を庇うべきであ
  る。多くの人がそのように考えることになるでしょう。

 

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ちなみに、

汝の主観的な原則が普遍的な法則となることを求める意志にしたがって行動せよ

(だれのどのような行為でも、その行為が、あるいはその行為の格率(指針=注筆者)から見て、その人の選択意志の自由が、だれの自由とも普遍的法則に従って両立できるならば、その行為は正しい)

と、カントは言います。これが、カントが見出した道徳の「形式」というものです。

 

 

それから、ヘーゲルの弁証法というものがあります。次のように説明できるように思われます。

 

*テーゼ(命題)
真理として示される考え。肯定的主張(定立)⇒「嘘をついてはいけない」

 

*アンチテーゼ(反対命題)
示されたテーゼとは矛盾する論理的な考え。否定的主張(反定立)⇒「知人を夫の暴力から守るために、嘘をつくこともある。嘘は、よい行いとなることもある」

 

*ジンテーゼ(統合命題)
もとの考えを、アンチテーゼによって示された矛盾と照らし合わせることによって、新しい段階へと発展させた考え。⇒「嘘をつくことは、それが知人を守ることを意図したものである場合には、間違っているとは言えない」



 このような先賢の思考法に学びながら、自己の思考力を磨き上げていくこともできるでしょう。

 「道徳」とは何か。それを考え抜くことによって獲得した「道徳観」は、個々人の人格形成に、そしてまたその人の「生き方」に、きっと大きな影響を及ぼします。

 

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この「国」の最高責任者は、日本を『世界で一番企業が活動しやすい国』にすると公言しています。

 「国」を越えて地球規模で交流や通商が拡大するなかで、国益と称して支配層・大企業・多国籍企業などに利益をもたらす仕組みの構築・維持と、それを無批判の内に支える大衆層の形成が目論まれています。

 そして、「子どもたち」を『戦争をする「国家」を支持し、それに黙々とついていく大衆』に育てるために、子どものうちから強い「国家意識」や「愛国心」をもたせようとするのです。


  国家の主権者として育つべき「子どもたち」を単なる統治の対象に仕立て上げるには、「子どもたち」の中に民主主義の精神や権力への批判的知性が育まれることがないようにしなければなりません。そのために、国家主義を基調とする「道徳教育」を施しておく必要があるということでしょう。

 

 

--2018.4.15-